神話が考える―ネットワーク社会の文化論 [著]福嶋亮大[掲載]2010年5月16日[評者]斎藤環(精神科医)■「私」ではなく「環境」こそが考える 現在二十九歳の著者は、批評家・東浩紀の――とりわけ『動物化するポストモダン』の――決定的な影響下から出発した新世代の批評家である。この一見奇妙なタイトルには「客体の優位性」、すなわち私たちの「主体」が考えるのではなく、「環境」が考えるのだ、という主張が込められている。 もちろんそれだけでは、ポストモダン的「主体の死」のゼロ年代バージョンに過ぎない。しかし、著者のもくろみはさらに野心的である。彼は小説やゲームといった文化的営みの一切を、情報処理のプロセスとして記述し直そうと試みるのだ。 このとき「神話」は、情報ネットワークの複雑性を縮減してくれるアルゴリズムとして記述される。あるいは「人間」もまた、ネットワークの結節点(ノード)として、統一性と分散