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リテラシーに関するseiryu95のブックマーク (2)

  • ええ、サヨク『も』嫌いですよ。 - HALTANの日記

    しかし改めて考えていると、現代社会で「記憶」することが課題とされるような出来事というのは誰かの加害性に関わるようなものであることが多いので、「人が過去を記憶しようとする営みそれ自体」への憎悪というより「誰かの(直接自分の、でなくても)加害行為を記憶しようとする営み」への憎悪、と考えればよいのかもしれませんね。その場合HALTANが麻生の「ナチスドイツ」発言や福耳先生の「トリアージ」についてのおしゃべりはスルーしておいて toledさんや hokusyuさんの語る「ホロコースト」(私はHALTANが「分からない」とゴネだしてから言及しただけですから)にのみ憎悪を向ける理由もよりハッキリするような。Apeman 2008/08/07 23:25 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080807/p2#c1218119115そんな仰り様はないでしょ? 加害行為がどうこう

    seiryu95
    seiryu95 2008/08/08
    トリアージという概念をかろうじて許容される極限状態から引っ張り出して一般化している点で例の経営学者さんとホロコーストの事例は何も変わらないように思える。
  • 誇張とウソ - 朴斎雑志

    白髮三千丈  白髪 三千丈、 縁愁似箇長  愁いに縁(よ)って箇(かく)の似(ごと)く長し。 不知明鏡裏  知らず 明鏡の裏(うち)、 何處得秋霜  何れの処よりか秋霜を得たる。 ――私の白髪は何と三千丈、愁いのためにこんなに長くなったのだ。光る鏡の中の我が姿は、いったいどこから秋の霜のような白髪を得たのであろうか。 唐代のみならず中国を代表する詩人李白の「秋浦歌」である。詩の題は知らなくても、最初の一句は知らないという人の方が少ないであろう。自由奔放で奇抜な表現が持ち味の李白の詩の中でも、この詩は奇抜さの白眉として愛唱された名詩である。 三千丈といえばおよそ9キロメートル、そんな長い髪を持った人が現実にあろうはずはない。この数字は言うまでもなく誇張である。しかし次の句を読めば、それが単なる誇張ではなく、積もり積もった愁いの比喩として用いられた表現であることがわかるのである。それは月並みな

    誇張とウソ - 朴斎雑志
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