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2007年4月2日のブックマーク (2件)

  • keya1984氏への私信──沖縄戦「自決強制」関連 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「「空気」を気にする日人の精神主義的教育論@Backlash to 1984」に対して、コメントつけたら、反論されたので、返事を返す。たいした内容じゃありません。 米軍はソ連軍とは違い、投降しておれば救われた命は多かったでしょうね。しかしそれは結果論でしょう。「恐怖を煽って」と言いますが、ソ連軍は強姦も拉致も殺害も略奪もし放題だが米軍は投降すればそんなことは少ないよ…などと敗戦前にどうやって知ることができたのですか? 都市への無差別の空襲などを見るにつけ、当時の日人なら「鬼畜米英とはまことであった」と感じていたに相違ありません。 責任転嫁はやめましょう。そんな知ることができたかどうか以前に、日軍としては投降されては不都合だという状況があり(陣地構築などで住民を徴用し、機密が広く知れ渡っていたため)、そのために組織的に投降阻止することを軍の方針にしたんです。それが「軍官民共生共死の方針

    keya1984氏への私信──沖縄戦「自決強制」関連 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 誇張とウソ - 朴斎雑志

    白髮三千丈  白髪 三千丈、 縁愁似箇長  愁いに縁(よ)って箇(かく)の似(ごと)く長し。 不知明鏡裏  知らず 明鏡の裏(うち)、 何處得秋霜  何れの処よりか秋霜を得たる。 ――私の白髪は何と三千丈、愁いのためにこんなに長くなったのだ。光る鏡の中の我が姿は、いったいどこから秋の霜のような白髪を得たのであろうか。 唐代のみならず中国を代表する詩人李白の「秋浦歌」である。詩の題は知らなくても、最初の一句は知らないという人の方が少ないであろう。自由奔放で奇抜な表現が持ち味の李白の詩の中でも、この詩は奇抜さの白眉として愛唱された名詩である。 三千丈といえばおよそ9キロメートル、そんな長い髪を持った人が現実にあろうはずはない。この数字は言うまでもなく誇張である。しかし次の句を読めば、それが単なる誇張ではなく、積もり積もった愁いの比喩として用いられた表現であることがわかるのである。それは月並みな

    誇張とウソ - 朴斎雑志