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2007年10月15日のブックマーク (2件)

  • 東京大学(教育社会学)・本田由紀の書評ブログ?:?『ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか』樫村愛子(光文社)

    →紀伊國屋書店で購入 「寄る辺のなさ」を埋め合わせるものは何か いま、人々は日々を生きる中で、「寄る辺のなさ」の感覚を強めている。この「寄る辺のなさ」(=流動化・不安定化=「プレカリテ」)の根には、生活を成り立たせる物質的基盤(雇用や収入)が揺らいでいるという現状がある。でも、この「寄る辺のなさ」を、そういった物質的な側面から捉えるだけでは不十分だ。人間の存在のあり方そのものにかかわる精神的な面での「寄る辺のなさ」を解読し、分厚く正確に記述する営みがもっと必要だ。 日では、ごく最近まで、あるいは現在も、社会の中で特に「寄る辺のない」状態にある人々に対して、「それはあいつらが駄目な奴らだからだ」という語り方がされることが多い。たとえば「ニート」もそうだった。「ニート」は意欲や自信がなく一歩を踏み出せない「駄目な奴ら」として語られてきた。私はそういう「ニート」バッシングに抗うために、『「ニー

    東京大学(教育社会学)・本田由紀の書評ブログ?:?『ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか』樫村愛子(光文社)
    selim
    selim 2007/10/15
  • メランコリー型性格

    精神医学ってのは、けっこうドグマが多い分野である。厳密に証明されたわけでもないのに、疑うべからざる真理として通用しているテーゼがやたらと多くて、精神科医である以前にSF者である私には、いらだたしいことが多い。 例えば精神分析でいう「イド」や「超自我」なんかがその最たるもの。誰もイドの存在を証明した人はいないし、証明が可能とも思えない(その意味で、精神分析は科学じゃない、という批判は当たっている)のだけど、便利な仮説なので今にいたるまで使われてきていて、当にそういうものが存在するかのように書かれた書物は山ほどある。私としては、どれほど便利だろうが、あくまで仮説にすぎない(しかも証明不可能な)と思うのだけど。 精神分裂病とかうつ病とかの患者には、発病する以前から特徴的な性格がある、という「病前性格」ってのもドグマのひとつ。 うつ病の病前性格として精神病理の世界で広く知られている性格特徴

    selim
    selim 2007/10/15