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伊藤博文に関するsendaishilawのブックマーク (2)

  • 大日本帝国憲法審議での伊藤博文と森有礼の「臣民の権利義務」論争

    大日帝国憲法を巡る議論は新設の枢密院で明治二十一年四月から翌二十二年一月まで集中審議された。枢密院会議議事録第一巻(P217-219)から、伊藤博文と森有礼の論戦を引用してみる。憲法史で有名な伊藤-森論争である。 憲法草案第二章「臣民権利義務」に森が異を唱える。権利義務ではなく「臣民の分際」と改めるべきではないか?と。分際とは「レスポンシビリテー」即ち責任であるという。対する伊藤博文の反論。 『十四番(森)ノ説ハ、憲法学及国法学ニ退去ヲ命シタルノ説ト云フヘシ。抑憲法を創設スルノ精神ハ、第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ。故ニ若シ憲法ニ於テ臣民の権利ヲ列記セス、只責任ノミヲ記載セハ、憲法ヲ設クルノ必要ナシ。又如何ナル国ト雖モ臣民ノ権利ヲ保護セス又君主権ヲ制限セサルトキニハ、臣民ニハ無限ノ責任アリ、君主ニハ無限ノ権力アリ、是レ之ヲ称シテ君主専制国ト云フ。故ニ君主権ヲ制限シ、又臣

    大日本帝国憲法審議での伊藤博文と森有礼の「臣民の権利義務」論争
  • 伊藤博文と日韓併合 : 池田信夫 blog

    2013年11月19日21:25 カテゴリ 伊藤博文と日韓併合 ニューズウィークの記事のおまけ。伊藤博文と朝鮮の関係については、テロリストの記念碑を建てようとする愚かな大統領は論外として、日でも「伊藤は日韓併合に反対した」とか「暗殺事件が併合の引き金になった」とかいう話があるが、それも間違いである。 そもそも憲法を制定して初代の首相をつとめた伊藤のような「大物」が、問題ばかり多くてメリットのない韓国統監などという仕事を引き受けたのが奇妙である。1906年当時は、まだ国内でも立憲政友会を立ち上げたばかりで、山県有朋との権力闘争もあり、朝鮮などに行く状況ではなかったはずだ。 著者は、伊藤のねらいは「憲法改革」にあったという。藩閥政治の妥協によってできた明治憲法は、天皇と内閣の二元支配で分裂した統治機構を抱えていた。特に「天皇の軍隊」と自負する軍の自律性が強まり、それを基盤とする山県は二元支

    伊藤博文と日韓併合 : 池田信夫 blog
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