中国書家で一番好きな字は、啓功先生の字です。 赤壁賦より 先生の流れるような書、こんな風に書けたら、とずっと憧れていました。 中国の著名な建物の看板に先生の字がよく使われているので、目にした方も多いかもしれません。 書家の他にも画家、詩人、古典文学研究家(特に紅楼夢は有名)、古物鑑定、大学教授、中国書家協会名誉主席、仏教協会顧問、故宮博物館顧問、などなどたくさんの肩書きを持っていました。 元の姓は愛新覚羅、そう、 清エンペラー一族の一人なんですが、 その姓を捨てた人です。 先生の九代前は雍正帝です。八代前は乾隆帝の弟になります。(ということはあの小康煕帝は十代前かあ…) 北京にいた時にお話をしたことがあります。 落花生が大好物で、お店で買った落花生を食べながら歩いている姿をよくお見かけしました。 その姿はペンギンがチョコチョコ歩いているようで、とても微笑ましかったです。 私のつたない北京語
14日、死因はヒ素中毒と先日判明した清朝第11代皇帝・光緒帝。その死について一歩踏み込んだ研究発表が、光緒帝の血を引く愛清覚羅家の末裔を招いて、河北省の清西陵で行われた。写真は頤和園に飾られる西太后・慈禧の肖像画。 2008年11月14日、清朝第11代皇帝・光緒帝の没後100周年のこの日、国内の著名な歴史研究家が河北省易県にある世界文化遺産・清西陵に集まり、その死因がヒ素中毒によるものと判明した光緒帝の死の謎について、さらに一歩踏み込んだ考察と論証が行われた。「中国新聞網」が伝えた。 今月2日、清西陵文物管理処と中国原子能(エネルギー)科学研究院などの専門機関が合同で調査した結果を発表。最新科学技術を駆使し、それまで謎とされていた光緒帝の死を「急性胃腸性ヒ素中毒」によるものと断定。14日、光緒帝が眠る清西陵で検討会が開かれ、光緒帝を毒殺した犯人について専門家が意見を交換した。 【その他の
8日、清朝第9代皇帝・咸豊帝の皇后、西太后は68歳の時に29歳の恋人がいたという。しかも彼は英国貴族だった。恋人が手記の中で称える西太后の美しさの秘訣とは…。写真は頤和園に飾られる西太后・慈禧の肖像画。 2008年11月8日、北京故宮博物院図書館副館長で清朝史の専門家でもある向斯(シアン・スー)氏は、68歳の西太后と英国人貴族で軍人のエドモンド氏との恋愛関係について、「まだ研究中だが、エドモンド氏本人はその著書『満州の没落』の中で西太后との6年間にわたる関係を記している」と語った。鳳凰テレビのファッション専門サイト「鳳凰時尚」が紹介。 【その他の写真】 英国オクスフォード大学の図書館員が向斯氏に語ったところによると、同大学図書館にはエドモンド氏が初めて西太后と関係を持った様子を詳細に記した手記が保管されている。ハンサムで優秀な当時29歳のエドモンド氏は西太后のために北京に隠れ住んだと手記に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く