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ブックマーク / yskszk.hatenadiary.org (9)

  • pêle-mêle - 音大に進むならチェロ!

    講談社のメールマガジン「現代新書カフェ」の連載記事「Dr.平岩の東大受験必勝法」に、わが意を得たりという文章があった。ここでは現代国語の成績が悪かった著者が、それを克服する過程が描かれている。 その「ひらめき」とは、自分の頭を使わないことである。自分の頭を使いすぎていたために、私は現代国語ができなかった。 ひたすら「この文を読むマジョリティー(多数派)は、どのように感じるのか」と推理する。自分の中に、二人目の自分が誕生した瞬間だ。他人の脳の働きを非常に気にする自分が、もう一人の自分として加わったのだ。 オレは小学校から高校まで一貫して現代国語が得意科目だったが、ほとんど頭を使わずにお筆先に憑かれたかのように解答欄を埋めていた。極端に言えば「現代のまともな知識人(すなわちマジョリティー)が間違っても言いそうにないこと」を消去法で消していけば、三択や四択の問題であれば文を読まなくても正解にた

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    sennji
    sennji 2007/09/21
    でも、芸術片手に生き続けるにはどこかでお金のことを考えないと。
  • 1989年1月7日に流れた音楽 - pêle-mêle

    大学生のとき、オレが図書館にこもってむかしの新聞の縮刷版を読むのを趣味にしていたのは以前も書いたが、一度だけ呆れ果てつつも吹き出しそうになったことがある。それは1989年1月7日夕刊のテレビ欄である。この日が昭和天皇(いや、この時点では大行天皇か)の命日で、テレビでは娯楽番組やCMが放送されなかったのは有名だろう。それでは何が放送されたかというと、バッハ「ロ短調ミサ曲」、マーラー「第九交響曲」、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」といったところである。長い曲が多いのは、スイッチングが面倒くさいという怠惰が理由だろう。 この選曲は素晴らしい。素晴らしすぎる。敬虔なプロテスタントが作ったミサ曲や、世俗的な理由からユダヤ教からカトリックに鞍替えした男の遺作は、かつては国家神道の担い手とされ、戦後もキリスト教を嫌っていた(らしい)人物の追悼音楽として、まるでふさわしくない。「トリスタンと

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    sennji 2007/08/10
  • 偏向知識人 - pêle-mêle

    かつてオレがアルバイトしていた会社の同僚に、「偏向知識人」がいた。ちょっと「ネット右翼」的なところがあったが(彼こそがオレがはじめて出会った、「ネット上で右派的な言説を繰り広げる20代の青年」だったのかもしれない。1998年ごろの話である)、それをもってして偏向といいたいのではない。「博学なのになぜか基的なことにかぎって知らず、結果としておかしな結論や思い込みに陥る」という点が、「偏向知識人」なのである。やや大袈裟な譬喩を使うなら、徳川家斉は知っているのに徳川吉宗は知らないとか、リンゴ・スターは知っているのにジョン・レノンは知らないとか、「畜犬談」は読んでいるのに「斜陽」は読んでいない(そんな作品があることさえ知らない)とか、そういう偏向具合なのである。 そんな彼がある日、「文学部では作家の文体模写が正規のカリキュラムとして組み込まれている」と自分のサイトで書いていた。もちろんそんなこと

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    sennji
    sennji 2007/06/25
    文学部の文は人文科学の略なのでんなわきゃないです。
  • pêle-mêle - だいがくいんのきょうふ

    唐突に書きたくなったので、大学院生時代の思い出を書く。「唐突に書きたくなった」以上のきっかけはない。 オレが通っていた大学院である日、OBやOGをまじえたパーティーが開かれた。おたがいに初対面の者が多いパーティーのつねとして、簡単な自己紹介と近況報告がはじまった。そのなかでひとりの女性が、子供向けの絵か何かを翻訳したことと、その訳書がちょっとしたベストセラーになったことを伝えた。その時点では周囲の者は彼女の業績を称えたが、彼女がパーティーを中座して帰宅したあと、場は「糾弾大会」と呼びたくなるような雰囲気に変容した。決してアカデミックではない書物を訳したこと、それがベストセラーになったこと、しかもそれを自慢げに(オレにはそう感じられなかったが)語ったことが、嫉妬と怨嗟の対象になったのだ。彼女がどのくらいの印税を得たのか、執拗にこだわる者までいた。 いまとなっては「糾弾大会」と化した理由は、

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    sennji
    sennji 2007/06/05
  • pêle-mêle - 俗流アナーキズム

    YMOマニアのあいだではそれなりのプレミアがついているらしい『YMO Book』(学研、1983年)から、坂龍一と糸井重里の対談を引用する。最近はこうしてむかしのから引用することが多いのは、単に蔵書整理中だからである。初出は「サウンドール」誌の1981年9月号。「ブ」と「ヴ」の表記が不統一なのは原文ママ。 坂 最近、アバンギャルド病の若い子が多いんだよね。その子たち、けっこううるさいんだよ。ノイズ出してる。ぼくなんか毒されるっていうか、気になるんだね。 糸井 ワァー、キツイ! 坂 イヤなんだけどサ、気になるタイプでもあるわけ。それにシャットアウトするのって、すごくむつかしい。 糸井 アヴァンギャルド病ってのは、たとえば南伸坊のに『面白くっても大丈夫』ってつけるとね、面白ければ何でもいいんだって立場を取りたがるわけネ。それはやっぱり俗流アナーキズムだからさ。 坂 ぼくらの頃にもそ

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    sennji
    sennji 2007/05/13
    重要。
  • 2007-04-22

    とり・みき『愛のさかあがり 天の巻』(ISBN:4048520822)より引用する。ちなみに出版されたのはいまから20年前の1987年、すなわち連続幼女殺人事件によって「オタク(おたく)」がメジャーな言葉になる2年前でもある。 オタク差別というのももう流行らなくなってしまった。オタクの人って実は同じ年頃のフツーの人と比べたらもう比べ物にならないくらい読んでるし、最先端の科学技術とかにも詳しいし、コンピューターはいじれるし、はっきりいって頭いいんだよね。オタク族を毛嫌いしているようなテクノ少年やニューアカ少女がこぞって読むような雑誌や難解も編集部をのぞいてみると実はそういうオタクっぽい人達が作ってたりする事が多い。(そして「ニューアカ少女のシンボル的な存在である」坂龍一が「オネアミスの翼」の音楽を担当したのは)〝オタク族の逆襲〟って感じでなかなか面白かった。 オタク族を憎む人ってのは、

    2007-04-22
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    sennji 2007/04/23
  • 2007-03-30

    SBMなどで自分の予想をいささか上回る反響を呼び起こした「日における『オタク』と『サブカル』」ですが、フランス語版が公開されました。 http://bonzour.fr/blogs/spleendetokyo.php?itemid=58 翻訳を担当した「ボンズ〜ル」主幹の安田さん、ありがとうございます。安田さんが複数のネイティヴにチェックを依頼し、こちらで固有名詞の読み間違いや微妙なニュアンスがうまく訳しきれていない箇所に若干手を加えたので、かなり「読める」訳文に仕上がったのではないかと思います。日語を母語とする読者が大多数であろうこのブログで告知することにどのくらいの意味があるのか判りませんが、みなさんにフランス人や南部ベルギー人やケベック州出身のカナダ人やフランスが旧宗主国だったアフリカ諸国や「天国にいちばん近い島」の友人がいたら、ぜひともお知らせください。 それにしても自分が日

    2007-03-30
    sennji
    sennji 2007/03/31
  • 2007-02-22

    昨日、出会い系サイトのアルバイトの話を書いたので、オレが同じころに経験したもうひとつの「パソコンのお仕事」を書きたくなった。こちらは3日間だけの短期アルバイトだったが。 その職場では春の受勲や秋の受勲が発表されるたびに、NTTの「104」で受勲者の連絡先を調べ、電話で諒解を取り付けた上で高額な紳士録(正式名称は違っていたはず)や皇族の写真集、および料金の振込用紙を送っていた。もちろん返品は可能だが、そこが日人の哀しい性で、「せっかく送ってもらったのだから」ということで料金を振り込んでしまう者は多い。そして返品したら、いささか脅しめいた電話がかかってくることになる。オレが担当していたのは住所録の入力(21世紀にもなっているのに、慣れないMS-DOSを使わされた。Windowsマシンを使っているとなりの経理の女性がやたらと羨ましかった)およびその他の雑用で、わりとのんびりしていたが、基給に

    2007-02-22
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    sennji 2007/03/02
  • 2006-12-17

    今夜、すベてのバーで (講談社文庫) 作者: 中島らも出版社/メーカー: 講談社発売日: 1994/03/04メディア: 文庫購入: 12人 クリック: 112回この商品を含むブログ (288件) を見るほぼ著者の実体験にもとづいているようで、強烈なエンターテインメント性はない。それでもぐいぐい読ませる。まだ読了していないが、名言を目にしてしまったので引用する。 「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。 オレは情けないくらいだらしない酒呑みだが、それでも何かに熱中しているあいだは不思議とアルコールを渇望しない。たとえ熱中している対象が、アルコール依存症患者が主人公の小説であってもである(だからこそか)。やはり趣味を持つのは大切なのだ。たとえそれが死の恐怖から目をそらすための安易な手段(パスカルの

    2006-12-17
    sennji
    sennji 2006/12/21
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