ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (2)

  • なぜ「忘れ物を叱る」のが無意味なのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    忘れ物をしても叱らない教育をしている学校があるとかいうTogetter記事を見て、「そりゃそうだ」と思ったのだが、そこについてるブコメ群のかなりの部分を占める意見が否定的なのに驚いた。いや、ほんとに驚いた。 b.hatena.ne.jp もちろん、「叱ってもいいことない」という論調に賛同するコメントもないことはないのだけれど、「いや、それは当人のためにならないだろう」という意見が多い。ああ、地獄への道は善意で舗装されてる、と思った。 もともと教育現場で「叱る」という行為が横行していることに関しては別途思うところがあるのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、そこはおくとしよう。教師が叱ることが場合によっては認められるとした上で、なお、少なくとも忘れ物に関しては効果はほとんどない。それは私自身がほとんど常にクラスいちばんの忘れ物王者であり、そしてそれはいくら叱られたってなおらなかっ

    なぜ「忘れ物を叱る」のが無意味なのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    serio
    serio 2021/01/23
    教育で必要なのは、忘れ物をしない工夫や方法を教えたり、二人三脚で試行錯誤して方法を見つけたりすることであって、「忘れても勉強に支障がない環境」を作ることは叱るのと同じく教育として不十分だと思う。
  • 人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    半年ほど前から、老齢の父親の調子がよくない。それでもどうにか生きながらえて年を越すことができた。感謝すべきなのだろう。 だが、素直に喜べないのは、病床にあって父親が日々苦しんでいるのを知っているからだ。循環器系にガタがきていて、身体全体に酸素が足りない。高山で生活しているようなもんだから、とにかくしんどい。そのしんどさを耐え忍んでも、その先にそれが改善する見込みはほとんどない。よくて現状維持、わるければ、いつでも最期がくる。そういう状態でいる人を前に、それでも「生きていてよかったね」とは、素直に言えない。 父親は、決して命に未練があるタイプではない。むしろ、無意味な延命治療はしてくれるなと、これは元気なうちからずっと言い続けてきた。過去に何度か大病を生き延びてきているので、医療に対する信頼は厚い。治る病気なら、現代医学の力で必ず治るものだと信じている。そして、治らないのなら、ムダな抵抗はせ

    人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    serio
    serio 2019/01/02
    健康寿命を延ばそうとするのが欧米、延命治療で死の間際の苦しい時間を延ばそうとするのが日本。そろそろ考え方を変えるべき。金をかけるなら自立支援の方に力を入れようよ。
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