ブックマーク / www.countryteacher.tokyo (6)

  • 児玉真美 著『安楽死が合法の国で起こっていること』より。大きな絵を描くと同時に、小さな物語を大切にすること。 - 田舎教師ときどき都会教師

    もう生きられないほど苦しいという人がいるなら死なせてあげたい、そういう人のために安楽死を合法化してあげようと考える人たちが善意であることは疑わない。けれどひとりひとりの善意が集まって世論を形成し、その世論の勢いに押されて(乗じて?)制度となった(された?)ものは、人々の善意とはまた別のダイナミズムによって動き始める。安楽死という選択肢をもった社会は、政治や経済やその他もろもろの思惑を孕んだ力学によって、当初の善意からも意図からもかけ離れたところへと動かされていくのだ。そのリアルなリスクを、書の「大きな絵」から感じてもらえればと思う。 (児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』ちくま新書、2023) こんばんは。第一次産業から第二次産業へと「大きな絵」が描きかえられたときに「身体障害」という言葉が人口に膾炙したという説と、第二次産業から第三次産業へと「大きな絵」が描きかえられている今

    児玉真美 著『安楽死が合法の国で起こっていること』より。大きな絵を描くと同時に、小さな物語を大切にすること。 - 田舎教師ときどき都会教師
    serori8793
    serori8793 2024/02/12
    感じたことは、生きるを前提に誰もが考えて欲しいと思いました。五体満足に生まれた私がやはり誰よりも先に逝きたいけどそれを辛く思う人や自分の責任逃れを想います。障害があっても才能や夢あるでしょうから
  • 滝田明日香 著『晴れ、ときどきサバンナ』より。多様性の時代だからこそ、一人ひとりの物語が語られねばならない。 - 田舎教師ときどき都会教師

    私はいろいろな国で育ち、知らず知らずのうちに価値観の混ざった人間に育ってしまった。日文化の家庭に生まれ、外国の地で育った。様々な国の良い所と悪い所を見て、自分でいい所だけを取るように心がけていた。そして、放浪の暮らしをしているうちに、自分の中に独自の価値観ができ上がり、他の人の価値観との摩擦が起きてしまったような気がする。自分の文化がはっきりと分かっているということ、それは素晴らしい宝物だ。昔もこれからも、私は文化的に中途半端な人間なのかもしれない。でもそれは私であり、中途半端さを取ってしまったら、当の私ではなくなってしまう。自分の生き方に誇りを持っていれば、それでいいんだろう。踊るマサイの子供達は、誇らしげに光っていた。 (滝田明日香『晴れ、ときどきサバンナ』幻冬舎文庫、2007) こんばんは。昨日、子どもたちを帰した後に襲いかかってきた「疲れ」はサバンナのライオンなみに獰猛でした

    滝田明日香 著『晴れ、ときどきサバンナ』より。多様性の時代だからこそ、一人ひとりの物語が語られねばならない。 - 田舎教師ときどき都会教師
    serori8793
    serori8793 2024/01/14
    物語は一人ひとりですね。本はあまりに境遇が違うノンフィクションを読むとへこむときもあります。格差社会です
  • 早見和真 著『店長がバカすぎて』より。書店員にゆとりを。教員にもゆとりを。 - 田舎教師ときどき都会教師

    「結局、バッグに退職届を忍ばせている時点で、私たちは辞められないんだ。年月を経るたびに重たいものを背負わされていくし、ままならないことも増えていく。どんどん上の人間がバカに見えてくるし、バタバタしている自分がアホらしくなっていく。でもね、そういう状況に追い込まれれば追い込まれるほど、が愛おしくなっていくんだよね。というか、いまの自分を逃がしてくれる救いの物語が、タイミングを見計らっていたかのように現れるんだ。あれって当に不思議だなぁ」 (早見和真『店長がバカすぎて』ハルキ文庫、2021) こんにちは。なぜ代休なしの土曜授業なんてものを続けているのか。なぜ法的根拠のない通知表なんてものをボランティア(ただ働き)で作り続けているのか。労働環境の劣悪さゆえに教員不足が深刻化しているのに、なぜ仕事を減らすどころか増やそうとするのか。 校長がバカすぎて。 毎年そう思っているのに何も変わらないどこ

    早見和真 著『店長がバカすぎて』より。書店員にゆとりを。教員にもゆとりを。 - 田舎教師ときどき都会教師
    serori8793
    serori8793 2022/12/27
    私も読みました。職場で腹を立てることはよくよくあります。共感したりなるほどと思ったりしました。
  • 早見和真 著『新! 店長がバカすぎて』より。ケアとエンパシーときどき利他。他者理解と自己理解。 - 田舎教師ときどき都会教師

    つまりはそういうことなのだ。私が認識している谷原京子と、周囲が見ている谷原京子とは少し違う。ひょっとしたら周囲が見ている自分は、私が見せたいと願っている自分の姿でしかなくて、それがなんとか成功しているからギリギリのところで周囲と折り合いをつけられているだけなのかもしれない。 (早見和真『新! 店長がバカすぎて』角川春樹事務所、2022) おはようございます。10日ほど前に『世界は贈与でできている』の著者・近内悠太さんの話を聴く機会がありました。場所は平川克美さんが店主を務める隣町珈琲、テーマは「ケアとエンパシーときどき利他」です。店主がバカすぎて、ではなく、店主が優秀すぎて、そして街場の大学という場を主催しているだいまり(代麻理子)さんも優秀すぎて、もちろん近内さんも優秀すぎて、書店員の谷原京子が『店長がバカ過ぎる』の著者・大西賢也を招いて行ったトークイベントに負けず劣らずの大盛り上がりで

    早見和真 著『新! 店長がバカすぎて』より。ケアとエンパシーときどき利他。他者理解と自己理解。 - 田舎教師ときどき都会教師
    serori8793
    serori8793 2022/12/27
    まだ新は読んでいません。興味がわきました。
  • 落合陽一 著『忘れる読書』より。忘れるような本すらない人はダメだよ、というアイロニー。 - 田舎教師ときどき都会教師

    近代をおさらいするのにうってつけの一冊が、猪瀬さんが著された『ミカドの肖像』です。事実を不可視化するシステムの中で、視えないものをあえて視ようとする日人のマインドが、圧倒的なボリューム感で描き出されています。猪瀬さんは、自身が「MIKADO」という名のロックバンドに行ったインタビューや、かつて、フランスの哲学者ロラン・バルトが皇居を「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である」(『表徴の帝国』)と説いた表現を引き、 〈「あたかもこの空虚なシンボルの周りを回転しているかのよう」に動いている日の現在のミカドについて立ち止まって考えていただきたい〉 と同著の冒頭で提起しています。 (落合陽一『忘れる読書』PHP新書、2022) こんばんは。寺山修司(1935-1983)に『書を捨てよ、町へ出よう』というタイトルのがあります。もちろんこれは「なんて読まずに、町へ出ようぜ

    落合陽一 著『忘れる読書』より。忘れるような本すらない人はダメだよ、というアイロニー。 - 田舎教師ときどき都会教師
    serori8793
    serori8793 2022/11/08
    忘れるために本を読もう、というタイトルが気になりました。本はいい。何でも何かを考えさせてくれる。現実逃避もできる。本は気持ちをしずめてくれる。助けてくれます。
  • 岡崎勝、宮台真司 著『こども性教育』より。人間関係は酒と同じ。「いい恋愛」をするには、どうしたらいいの? - 田舎教師ときどき都会教師

    さて、ここまでのお話でみなさんがいま、どういう社会で生きているのかということがよくわかったと思います。 人間関係が空洞化して「孤独」になってきた。「孤独」ゆえに、心を病んだり、警戒的・攻撃的になったりする。だから人と仲よくなれない。そうした現象が起こります。 当然、「恋愛」も「友愛」も成立しづらくなります。すると人間関係の空洞化がさらに進み、ますます「孤独」になります。これは悪循環です。 (岡崎勝、宮台真司『こども性教育』ジャパンマシニスト社、2022) おはようございます。昨夜、仕事帰りに映画館に寄って、バズ・プーンピヤ監督の新作『プアン/友だちと呼ばせて』を観てきました。タイトルからわかるように「友愛」をテーマにした作品です。 舞台はタイのバンコク。 余命宣告を受けた青年が親友に運転してもらって元カノを巡る旅に出るんですよね。だから「友愛」に加えて「恋愛」もテーマになっています。社会学

    岡崎勝、宮台真司 著『こども性教育』より。人間関係は酒と同じ。「いい恋愛」をするには、どうしたらいいの? - 田舎教師ときどき都会教師
    serori8793
    serori8793 2022/08/07
    人間関係が酒と同じというのが響きます。わかる気がします。酒で人は隠している部分もさらけ出してしまうから。私も酒に頼ったり酒を避けたり、まるで自分の人間関係のようです。
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