原本;Feb'84刊「さとりへの道」第3章 改訂HP版;Sep'00 改訂HP版2;Aug'01 改訂HP版3;Oct'02 改訂HP版4;15th,Aug'05 三諦説「空仮中」は、「さとりへの道」より抜粋したものである。幾たびかの改訂を重ね、一部他文書との重複がある。 ■以下(*)印は、他文書同様の註解を示す(共通)。また(S;)はサンスクリット語の英語表記。 *釈尊の教説「*四諦十二因縁八正道」をより深めていくと、その根底には空の論理、仮の論理、中の論理と言うものがある。これは*龍樹の言う「縁起は即空、即仮、即中」であり、同じく天台大師*智ギ(中国)はこれを「空仮中の三諦」と言った。 八正道とは、苦の滅尽の方法であって、修行すれば当然そこに行き着くはずであり、釈尊の八正道にはこの三諦が同時に存在することになる。特徴的にこの三諦説を述べているものに「般若心経」がある。ここでは「般若心経
(skt.) UpaniSad उपनिषद् 古代インドの哲学書。インド思想の根本として重要な文献である。バラモン教の聖典ヴェーダの4部門の最終部門なので「ヴェーダーンタ Vedaanta (ヴェーダの末尾)」とも呼ばれ、のちに「ヴェーダの極致」と解釈された。 「ウパニシャッド」の語義は、通説によれば「近くに座る upa‐ni‐sad」という動詞から転じて、師弟が対座して師から弟子へと伝達される「秘義」をさすとされたため、「奥義書」と訳されたことがある。 時代区分 現存するウパニシャッドは200種以上だが、時代的に古く重要なものの14~17編を特に「古ウパニシャッド」と呼ぶ。これらは、前500年を中心とした前後の数百年間に成立したものと考えられる。『ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド bRhad‐aaraNyaka‐upaniSad』『チャーンドーギャ・ウパニシャッド chaand
特別講座 仏教入門 PTA公開講座報告 この特別講座「仏教入門」は2001年度にPTA講座として行ったものです。 1.インド思想の中の仏教 はじめに バラモンの思想 輪廻と解脱 自由思想家の登場 ブッダの誕生 2.初期仏教の思想 仏陀の覚った真理 知恵と慈悲 3.仏教の発展 大乗仏教の思想 般若心経 4.仏像の誕生と展開 大乗仏教と仏像の誕生 仏と仏性 さまざまな仏たち 1.インドの思想の中の仏教 はじめに 毎日テレビや新聞で多くの死が報道されています。でもそれらの死は私にとって物語の中の死のように実感の伴わない死です。まして自分自身が死ぬことを考えると、非現実的で、漠然とした不安を感じてしまうばかりです。しかし、古代から死は人間にとって最も大きな苦しみであったし、また人間はその死を見つめることを通して、生の意味を作り出そうとしてきまし
^ a b c d e 日本大百科全書(ニッポニカ)『解脱』 - コトバンク ^ a b c d e f 総合仏教大辞典 1988, pp. 324–325. ^ 水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.298 ^ 水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p.262 ^ John Bowker, The Oxford Dictionary of World Religions, Oxford University Press, ISBN 978-0192139658, p. 650 ^ 「vimutta: a. [vimuñcati の pp., Sk. vimukta] 解脱した, 解脱者. -atta 自ら解脱した. -citta 解脱心」水野弘元『増補改訂パーリ語辞典』春秋社、2013年3月、増補改訂版第4刷、p
分野・時代別のインド人の一覧(ぶんや・じだいべつのインドじんのいちらん)は、インド人名を分野別・時代別にした一覧。 19世紀以前[編集] 六師外道(釈迦在世時代の代表的な自由思想家たち)と釈迦牟尼[編集] アジタ・ケーサカンバリン - 順世派、チャールヴァーカの祖。唯物論者で、人間は地・水・火・風の4元素から成ると考えた。快楽至上主義者。 パクダ・カッチャーヤナ - 七要素説(地、水、火、風、苦、楽および命)。 プーラナ・カッサパ - 道徳否定論者 マッカリ・ゴーサーラ - 邪命外道の祖。決定論者 サンジャヤ・ベーラッティプッタ - 懐疑論者 マハーヴィーラ、(ニガンタ・ナータプッタ) - ジャイナ教の開祖。相対論者 釈迦牟尼、ゴータマ・シッダールタ 釈迦族 ヒンドゥー教のグル[編集] ラーマクリシュナ(1836年 - 1886年) ヴィヴェーカーナンダ(1863年 - 1902年) ブラ
沙門・バラモン インドでは、古くから先住農耕民族のあいだで伝えられてきた輪廻転生という死生観が、西暦紀元前八世紀頃に、支配民族アーリヤ人を代表するバラモン階級によって受容された。そのさい、アーリヤ人たちがすでに持っていた、因果応報、自業自得という、倫理的にも論理的にもきわめて完成度の高い自己責任思想が、輪廻思想の骨格として組み込まれた。 西暦紀元前七世紀頃になると、みずからの輪廻的な生存を苦と見、それから永遠に脱却(解脱)し、究極の平安の境地(涅槃、寂静・寂滅、不死)に至ろうと切に願う人々が多数現れ、世俗人とはまったくライフ・スタイルを異にする出家となり、修行方法やそれを裏付ける理論をさまざまに模索するようになった。 ウッダーラカ・アールニと並んでウパニシャッドの二大哲人と称されるヤージュニャヴァルキヤはこの頃の人であり、固有名詞をもって知られる出家の第一号となっている。
〔前号までの話〕 マガダ国のアジャータサットゥ王は、宗教家のプーラナ・カッサパ(非業論者)とマッカリ・ゴーサーラ(運命論者)を訪れて、「出家をすることにどんな意味があるのか」と、沙門の果報を尋ねました。しかし、カッサパ師もゴーサーラ師も自説を述べるだけで王様の疑問に答えようとしません。二人の教えに満足いかない王様は別の宗教家を訪ねます。今度の人はAjita Kesa-kambalaという名の厳密な唯物論者です。 アジタ・ケーサカンバラの教え 生命は四つの要素と感覚器官で成り立つという唯物論 当時のインドには、唯物論は七種類ありました。この経典にはアジタ・ケーサカンバラとパクダ・カッチャーヤナの哲学が入っています。現代の我々が知っている唯物論はたったひとつ、マルクス氏が考えた唯物論だけですが、この人はもうちょっとレベルの高い唯物論を唱えるのです。 ケーサカンバラ師が説く唯物論はこうです。生命
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