慰めと安らぎ <わたしが一番きれいだったとき/まわりの人達が沢山死んだ/工場で 海で 名もない島で/わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった>▼茨木のり子さん(1926~2006年)の「わたしが一番きれいだったとき」。戦時を生きた女性の心を歌う詩には、こんな光景も描かれている。<わたしが一番きれいだったとき/だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった/男たちは挙手の礼しか知らなくて/きれいな眼差だけを残し皆発っていった>―▼日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は言った。「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中、精神的に高ぶっている猛者集団に慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」と。旧日本軍の当局者は、まさにそう考えたのだろう。だからアジア各地に「慰安所」ができた▼「必要だ」と考えることと、それが「正しい」かは、まったく別だ。市長の言うように似た仕組みを持つ軍隊が他にあったとしても、「よそでもあった」