ブックマーク / fallibilism.blog69.fc2.com (2)

  • 仏教と批判的合理主義 日蓮思想の現代的意味

    日蓮思想の現代的意味 そろそろ新しい記事を書かないとまずいなと思っているのですが、そううそさんのところでの回答がまだ終了していませんので、もうしばらくは無理のようです。そこで、そううそさんのご質問に対してあちらに書かせて頂いたわたしの回答を、苦し紛れに、このブログにもはりつけておくことにいたします(ただし、一部省略しています)。日蓮思想の現代的意味について興味をお持ちの方には、もしかしたら、少しは参考になるかもしれません。 以下にはりつけるわたしの説明がうまくいっているかどうかは別としまして、日蓮思想の現代的意味についてきちんと説明された方というのは、今までほとんどおられなかったとおもいます。日蓮の思想の骨格を正確に理解したり、また、その現代的な意味を考えたりすることは、わたしには、文献学などよりもよっぽど重要なことのように思えます(もちろん、「文献学は不要である」という意味ではありません

    sessendo
    sessendo 2016/04/22
  • 仏教と批判的合理主義 縁起と一念三千

    山中講一郎『日蓮自伝考』を拝読 先日、ある方が、山中講一郎『日蓮自伝考──人、そしてこころざし』(水声社、2006年)を送ってくださったので、さっそく拝読いたしました。 誤っているところが数箇所ありましたが、全体として見ますと、とてもすばらしいだとおもいました。もしも創価学会が沈み行く船だとしますと、山中さんのこのような業績は、もっとも大きな救命ボートの1つになることでしょう。 さて、今回の記事は、『日蓮自伝考』のささいな誤りを指摘しようとするものではありません。現時点において、山中さんとわたしとの間で最も大きな対立点になっているとおもわれる【縁起説と一念三千説の論理的関係】について再考してみようというのが今回の記事のテーマです。 山中さんは、【縁起説と一念三千説の関係】について、「縁起説はこの一念三千の部分観にすぎません」といわれています(以下の資料に引用されている山中さんのご発言を参

    sessendo
    sessendo 2016/04/18
  • 1