昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と漏らしたことが、元侍従の故小林忍氏の日記に記載されていることが分かった。共同通信が22日までに、小林氏の日記を入手して判明した。日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に
麻生太郎財務相は15日の閣議後会見で、昭和23年に導入された夏の時間を繰り上げるサマータイム(夏時間)が4年間で終わった理由について、「(終わったのは)朝日新聞の責任だぞ」とまくし立てる場面があった。 朝日新聞の記者が、政府・与党が平成32(2020)年の東京五輪・パラリンピックの酷暑対策として、サマータイムの導入を検討していることについて質問。すると麻生氏は「確か俺の記憶だけど、違ってたらごめん」と付け加えた上で、「(当時の朝日新聞はサマータイム導入を)あおって書いたんだ。だけど良くないから止めた方がよいって(報道した)」と朝日記者に対して恨み節を炸裂(さくれつ)させた。 さらに「(止めるべきと)書いた最大の理由は、新聞記者が明るい最中だと夜に飲みに行きにくいから。それが事実だろ?」などと問い詰め記者を狼狽(ろうばい)させていた。 また、政府・与党が東京五輪・パラリンピック期間中のサマー
いつも拝見している、大阪地下鉄のファンサイト、osaka-subway.comさんのブログをいつものように見ていると、ある記事が目に入りました。 osaka-subway.com 昔の白黒写真を自動でカラー化するツールを、早稲田大学が開発したそうです。 colorization | 白黒画像をカラーに osaka-subway.comさんの記事内にあったカラー化写真に、いたくビックリしました。白黒写真だとなんだか「向こうの世界」というか、知らない過去とはいえあまり現実味がしません。しかし、同じ写真をカラーにすると、まるで死人に血を通して蘇生したかのような現実感を感じます。 これを写真のフランケンシュタイン化・・・いや、なんでもありません。 こんなおもちゃを眼の前にして、この私が「あっそ」とスルーするわけがありません。これは面白いぞ!と、手元の写真や著作権切れの写真、そして面白そうな写真をひ
2017年05月14日08:00 週末だし、昭和を思い出す画像貼っていこうぜ こんなのどう? Tweet 1: エルボーバット(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/ [US] 2017/05/13(土) 18:14:29.48 ID:QhhtvIVz0● BE:565421181-PLT(13000) ポイント特典 黄昏時、窓にポツポツと明かりがともり始め、夕飯の良い匂いが漂ってくる。 集合住宅が規則的に立ち並ぶ、都営村山団地。夕暮れ時を迎え、部屋に明かりが灯る。 http://www.sankei.com/photo/story/news/170513/sty1705130001-n1.html 「また明日な~」「おう!」 (´;ω;`) 4: ラダームーンサルト(やわらか銀行)@\(^o^)/ [EU] 2017/05/13(土) 18:16:05.30 ID:AjqG+uHf0 なつ
かつて東京の花見スポットといえば、上野ではなく、王子の飛鳥山と小金井桜(こがねいざくら)だった。 飛鳥山は今も名所として知られているが、小金井桜の方の知名度はさっぱりである。 それもそのはずで、現在は排気ガスと桜の高齢化によって、すっかり廃れてしまい見る影もない。 しかし、かつて玉川上水に2000本が植えられたという見事な桜は、歌川広重の浮世絵にも描かれ、明治16年には天皇も見に来たほどの見事な桜であった。 最寄りの駅は中央線の吉祥寺から少し進んだ「武蔵小金井」になり、最盛期には臨時駅ができるほどの大変な賑わいだったという。 僕はたまたま玉川上水沿いの釣り堀であった84歳のおじいちゃんと話していたら、「当時はすごかったよ~毎年4、5人は死んだよ」という。 どういうことだろう、詳しく話を聞いてみることにした。 命がけだった昭和の花見 -小金井桜って昔は有名だったんですよね 「そうだよ。私が小
どうも服部です。昭和時代をさまざまな形で振り返っていくシリーズ記事、今回は平成育ちにはちょっと考えられないかもしれない、昭和時代のマナーや日常についてまとめていきたいと思います。 ちなみに、ここでいう昭和時代とは昭和30年代以降のことを指し、ものによっては平成のある時期まで続けられていた事柄も含みます。 ■ほぼどこでもタバコが吸えた 画像は「昭和37年の浜松市政ニュース2」より(動画はページ下部に)。「禁煙」サインの出ている市民会館の中でも平気でタバコを吸っている人の姿が(1:54頃から)。 まずは喫煙事情について。公共マナーについて取り上げると、現在と大きく変わったものといえばやはりタバコのマナーではないでしょうか。屋内の多くの場所や路上までも禁煙となっている現在とは比べようがないぐらいフリーダムに、ほとんどの場所でタバコが吸えた時代もありました。 駅のホームは喫煙所ができて制限されるま
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1 しぃ(東日本) :2013/03/22(金) 18:13:59.48 ID:TL+95woq0 ?PLT(15072) ポイント特典昭和の給食、歴史をレプリカに 茨城県立歴史館で展示 学校給食の移り変わりがわかるレプリカが、県立歴史館(水戸市緑町2丁目)で展示されている。 脱脂粉乳やクジラの竜田揚げ、ソフトめんなど時代を感じさせる食材を、来館者たちは懐かしそうに眺めている。県立歴史館の庭園に移設された県指定文化財の旧水海道小学校本館の館内展示が、2月に新しくなった。昭和時代の小学校の教室を再現した。 木製の机の上には、昭和20年代から60年代までの学校メニューの一例が複製して置かれている。 当時の資料や専門家の助言をもとにつくった。脱脂粉乳を入れていたミルクポットや、先割れスプーンなどの 食器は現物を取り寄せた。 http://www.asahi.com/edu/artic
2013年03月06日08:00 「ちょっと前までこうだったよね…」 今の若い世代は知らないこと15例 Tweet 1: スミロドン(埼玉県):2013/03/05(火) 20:56:45.52 ID:KfYraU+0P 「覚えてる?ちょっと前までこうだったよね…」今の若い世代は知らないこと15例 1.ケータイメールの文字数に上限があった。 2.目的地に行くのに、地図をプリントアウトした。 3.友達と話すというのは、実際に顔を合わせることだった。 4.友達に電話すると、その前にその親と話す必要があった。 5.車で音楽を聴くためにCDRを焼いた。 6.データのフロッピーだった。 7.レポートの調べ物には、百科事典に目を通さなくてはいけなかった。 8.ちょっとした旅行には、この手のガイドを買った。 9.番組表を知るには、新聞か雑誌を買うしか方法がなかった。 10.使い捨てカメラを重宝した。 1
2013年02月26日17:48 ロシア人「50年代後半の日本の様子を見てみよう。」 カテゴリ日本 / япония画像 / картинки Comment(0) Tweet ロシアのサイトで50年代後半の日本の写真が沢山紹介されていました。 撮影したのはロシア人ではなくアメリカの方だそうです。 それでは以下翻訳です。 Япония 50-х фотоэкскурсия50年代の日本へ写真ツアー アメリカのビジネスマン、元空軍のパイロットだったHerb Gouldon氏は50~60年代に多くの場所へ旅行し写真を撮っていた。50年台の後半、彼は何度か日本を訪れていた。 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 3
およそ八十年前の東京・上野桜木に、現在のデジカメ感覚で写真を撮り続けた少年がいた。 少年が手にしたカメラは、小さな家が買える程の高価なカメラだった。 カメラが貴重だった時代に、家族や街並み、海水浴や学校など、少年は思いのままに撮り続けた。 プロカメラマンとしての目線ではなく、少年の目線での普段着の目線で・・・ 忘れ去られつつある普段着の昭和初期が今蘇える。
2012年11月19日08:00 ゆとり世代は知らない昭和の何気ない日常生活 Tweet 1:名無し募集中。。。:2012/11/10(土) 18:32:46.89 ID:0 コーラの瓶を酒屋に持っていけば30円キャッシュバック 3: 名無し募集中。。。:2012/11/10(土) 18:33:24.30 ID:0 正月3が日は店が休業で喰い物買ってないと餓死確定 5: 名無し募集中。。。:2012/11/10(土) 18:33:39.50 ID:0 巨人戦は全試合中継 9: 名無し募集中。。。:2012/11/10(土) 18:34:19.10 ID:0 チャンネル回す所はよく取れる 12: 名無し募集中。。。:2012/11/10(土) 18:35:09.66 ID:0 気温30℃越える事はめったになかった 19: 名無し募集中。。。:2012/11/10(土) 18:36:17.93
@bukrd405 昭和5年、東京の大企業に勤めるエリートサラリーマンは、新婚旅行まで含めると800円を超える豪華な結婚式を挙げていたが、同じ年の東北農村の親は、その五分の一にも足りぬ130円の金を得るために、娘を身売りに出していた。その数は、一つの村だけで数十名を超え、東北全体で数万に達した。 2012-05-22 11:57:50 @bukrd405 東北では娘売りとは別に、6~7歳の子を売る風習もあった。東京でも東端の職人街では、わずか3銭(100銭が1円)で買い与えた「うずら豆50粒」を兄弟3人で奪い合って母親は上の子を殴りつける家もあった。 2012-05-22 12:01:04 @bukrd405 《昭和初期の月収一覧》 職業軍人(中尉):85円 工場労働者:50円 巡査:30~60円 小規模商人:30~50円 住込工員(食住つき):12円 住込奉公人(食住つき):3~10円
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