このエントリに掲載してあるのは、「古典主義(参考:Wikipedia)」という言葉を考える上で、ぼくの脳裏にある、先人達の言葉を集めたものです。 こういうバラバラな「思い」を有機的に融合させていって、その意味を追究する……という行為自体が「古典的」というのではないかなとも思います。 「追求」と「追究」の違いですね。古典を探し集めて、コレクションするだけなら「追求」止まりで、「その奥にもっと何かあるんじゃないか?」という意識を持つことを「追究」と呼ぶんじゃないかと。 古典の知識に詳しければ偉い、っていう価値観はむしろ瑣末主義(トリビアイズム)の始まりでしょう。詳しくならなくてもいいから、何かを究めるつもりでやる、ということの方に価値観を置く。 「様式主義」は古典主義と意味が近い言葉だと思いますが、「様式」という概念も誤解して捉えられていることが多くて、様式主義者というのは、既存の様式の形を模
応募したら当たったので行きました、ブロガー向け試写会。 どうしてブロガーを招待したのか?そりゃ、自信があったからだ。本当に面白かった。やられた。アレですよ、招待されて褒めると「タダで見たからだろ」とか「ポスターもらったからだろ」とか(以下略)思われてしまうんじゃないかという自意識が出てくるんですけど、この『時をかける少女』に関しては……ごめんなさい、今のところけなす部分がない。 悲しいことに、世間でひどく言われている映画を擁護するか、ひどい映画をひどいひどいと書いてきたおれは、どうも普通にいい映画の感想が書けない身体になってしまったらしい。不幸だ。まあそういうわけなので、大変申し訳ないんだけど、他の映画をダシにして「面白さ」について考えてみたいと思う。ちゃんとした(?)感想は一緒に行ったid:kotokoさんとid:reriさん、そして公式ブログにトラバされている方々が書いているので、そち
そういうわけで諦めかけたこともありましたがけっきょく(ワイズマン特集、リヒター展につづいて)三度金沢行き決定と相成りました。映画の極意vol.5<鈴木則文/エンタテインメントの極意>/シアタ−21 Theater21 御大ご本人も来場されるのだからまあ行かないわけにはいかないでしょう、ということで。美術館徒歩十五分の距離にすでに宿も取った。電車の席も確保した。残念なのは同行者たる我が屋根裏に巣くう山の神の都合で土→日しか滞在できず月曜日の『ドカベン』が観られないこと。そして不安要素はその同行者が「実写版『ドカベン』など存在しない」とあくまで言い張る呵責なきフラワー思想の持ち主であること。「川谷拓三=殿馬が足でピアノを弾くんだけど……」と説明をはじめたとたん歯を剥き出し眸を腐らせ「嘘だッ!」→「それは『柔道一直線』だ!」→『ドカベン』の実写版など存在しない!!」と唇から血を滴らせながらおよそ
物語とは何か(4):恋愛物語以前 恋愛物語とはなにか:マクガフィンとラブ 恋愛物語はマクガフィンを必要としている モデル1:古典的恋愛物語 主人公たち 出会い 求愛行動としての出会い 出会いの技法 外在的障害 家と家の対立 戦争 犯罪者 同性愛 内在的障害 不倫 「トリスタンとイズー」梗概 ラファイエット夫人の作品分析(1,2) 独我論ゲーム 反恋愛物語 愛は物語の中にあり、その中にしかない 前提そのものの問題化 『愛人』について 物語とは何か(4):恋愛物語以前 物語は<愛>に満ちています。例えば、 英雄志願者がたまたま訪れた村では怪物に毎年人身御供をせねばならない。今年は村長の娘の番である。そこで英雄は見事に怪物を退治し、娘と結婚する。 娘は不幸な境遇にある。しかし、清らかな心とたぐいまれな忍耐力によりそれを堪え、やがて王子さま(長者の息子)と出会い、結婚する。 若者が信じられないほど
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