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2013年12月25日のブックマーク (2件)

  • Airline Fan バシキール航空空中衝突事故「復讐のパパ」、釈放される

    2002年にドイツ南西部のユーバリンゲンで起きたバシキール航空とDHLの空中衝突事故において、事故の直接の原因となったスイスの管制官が事故発生から2年後に遺族の1人に刺殺された事件で、懲役8年を宣告されスイスで服役中だったロシア人男性が刑期を短縮されて釈放されたとのこと。 BBC NEWS | Russian air traffic killer freed 今回釈放されたVitaly Kaloyev氏は、殺人の罪で8年の懲役を宣告されスイス国内の刑務所で服役していたが、陪審員団により「責任能力を追及することはできない」との判断がなされ、刑期を3分の1ほど残して釈放された。 Kaloyev氏は、件の事故でと子供2人を失い、親族によるとその後のほとんどの時間を家族の墓の前で過ごし、ただただ悲しみに暮れていたとのこと。そして事故から2年経った2004年、彼は突然スイスに渡り、事故の直接の原因

    shaphere939
    shaphere939 2013/12/25
    一方ロシアでは遺族が管制ミス側の担当者を抹殺していた
  • 【大韓航空機撃墜から30年】「別のやり方あったかも」 撃墜した戦闘機元操縦士  重荷背負い生きる : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)

    自宅の庭にリュドミラさんと立つゲンナジー・オシポビッチ元中佐=11月、ロシア南部マイコプ(共同) 1983年9月1日未明、ロシア極東サハリン沖上空で大韓航空機が旧ソ連軍戦闘機に撃墜され乗客乗員269人全員が死亡した事件から30年。撃墜した戦闘機の元操縦士が共同通信の取材にこのほど応じ「軍人としての命令を果たしただけだ。ただ、別のやり方もあったのかもしれない」と事件の重荷を背負ってきた人生を振り返った。 元操縦士は、ロシア南部アドイゲヤ共和国の首都マイコプに住むゲンナジー・オシポビッチ元中佐(69)。76年からサハリンでスホイ15戦闘機の操縦士として服務。予定航路を逸脱したニューヨーク発ソウル行き大韓機ボーイング747がサハリン上空を飛行した際、極東各地から緊急発進した戦闘機10機のうち1機を操縦していた。 当時38歳。元中佐によると、防空軍の上官から交信で受ける命令に基づいて行動した。計

    shaphere939
    shaphere939 2013/12/25
    時代、技術、運用、教育…何もかもが不運だったとしか言いようが無い