シーボルトがスパイであったというのが多数説になっているのだが、いろいろ調べていくとシーボルトは日本の開国を促すために、1844年にはオランダ国王ウィレム2世の親書を起草し、1853年にはアメリカのペリーに日本資料を提供して日本に軍事行動を起こさないことを要請し、1857年にはロシア皇帝ニコライ1世に招かれ、日露交渉のための書簡を起草しているという。 わが国が平和裏に開国できるために尽力するような人物がスパイだとしたら、いったいどこの国のスパイだというのだろうか。シーボルトはわが国で得た資料をもとに、大著『日本』のほか多くの著作により、世界に対してわが国のことを知らしめたという事実はどう理解すればよいのだろうか。 シーボルトが文政11年(1828)に帰国する際に、オランダ船に積みこんだ荷物の中から、国外持ち出しを禁じられていた日本地図が発見され、この地図は幕府天文方高橋景保がシーボルトに贈っ
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