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ソ連に関するshibayan1954のブックマーク (1)

  • 昭和天皇の『終戦の詔書』の後も戦争が続き、さらに多くの犠牲者が出たこと

    昭和20年8月14日にわが国はポツダム宣言を受諾し、翌8月15日に昭和天皇が「終戦の詔書」をラジオを通じて発表され、全日軍は一斉に戦いを止めて連合国に降伏した。 この8月15日が『終戦の日』で、この日に戦争が終わったものと子供の頃から思っていたのだが、樺太や千島や朝鮮半島ではその後もソ連軍と激しい戦いが続き、多くの犠牲者が出たことを知ったのは比較的最近のことである。 日人の多くがそのことを知らないのは当然のことである。このことはGHQの検閲の為に、またその後のマスコミ・出版社の自己検閲の為に、その事実を日人広く伝えられることがほとんどなかったからだ。 前回の記事で少しだけ触れたが、8月8日にソ連は日ソ中立条約を一方的に破って対日宣戦を布告し、満州・北朝鮮・南樺太・千島列島の侵略を開始している。 このブログで何度か引用している勝岡寛次氏の『抹殺された大東亜戦争』の解説をしばらく引用する

    昭和天皇の『終戦の詔書』の後も戦争が続き、さらに多くの犠牲者が出たこと
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/10/30
    『終戦の日』に戦争が終わったのではなく、樺太や千島や朝鮮半島ではソ連軍と激しい戦いが続き、戦死者数は6万人とも8万人とも言われているが、さらに終戦後のシベリア抑留で、約34万人の日本人が死亡したという。
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