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刀狩令に関するshibayan1954のブックマーク (2)

  • 刀狩令の後も村に大量の武器が残されていながら、村を平和に導いた秀吉の智慧

    前回の記事で、天正十六年(1588)七月に出された秀吉の刀狩令によってすべての農民の武器を没収されたわけではなく、現実には大量の武器が村に残されていたことを書いた。 藤木久志氏によると、「百姓の帯刀権や村の武装権の規制として」刀狩りが行なわれたが、「村の武力行使を制御するという秀吉の意図は、刀狩令とはまったく別のプログラムに委ねられた。村の武器を制御するプログラムは、村の喧嘩停止令(けんかちょうじれい)が担うことになった。」とある。(岩波新書『刀狩り』p.119) 【豊臣秀吉】 では『喧嘩停止令』とはどんな法令なのだろうか。 秀吉が制定した『喧嘩停止令』は制定法の形では見つかっておらず、いつ成立したかなど詳細についてはわかっていないのだが、農民の武力行使を制御することを目的とする法令が存在していたことは、当時の記録から確実であるという。注目すべきは、刀狩令が出る以前から、この法令の判例が存

    刀狩令の後も村に大量の武器が残されていながら、村を平和に導いた秀吉の智慧
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/12/17
    天正十六年七月に出された秀吉の刀狩令によってすべての農民の武器が没収されたわけではなく、現実には大量の武器が村に残されていた。刀狩令以前から農民の武力行使を制御することを目的とする法令が存在していた。
  • 農民たちが帯刀していた時代と秀吉の刀狩令

    前回の記事で、凶作と飢饉が相次いだ戦国時代に、農民たちは「足軽」として雇われて戦場に行き、戦場では掠奪暴行を働いてそれを稼ぎとしていたことを書いた。 このブログで何度か紹介した『真如堂縁起絵巻』には戦場で稼ぐ足軽たちが描かれているが、この絵巻のほかにも、彼らが武器を用いて寺社だけでなく村の人々を脅して糧や家財などを奪い取っていたことが数多く記録されている。当然の事ながら、何度かこのような被害を受けた側は、武器を持って自衛することを考えざるを得なくなるだろう。16世紀には農民といえども普通に帯刀していたことは、当時の記録などで確認できる。 藤木久志氏の『刀狩り』に、イエズス会の宣教師として来日していたルイス・フロイスの『日史』の一節が紹介されている。 「日では、今日までの習慣として、農民を初めとしてすべての者が、ある年齢に達すると、大刀(エスパーダ)と小刀(アガダ)を帯びることになって

    農民たちが帯刀していた時代と秀吉の刀狩令
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/12/17
    戦国時代に農民たちは足軽として戦場に行き、戦場では掠奪暴行を働いてそれを稼ぎとしていたが、このような争いを止めるためには、誰かが、より強力な武力を背景にして、相手を無力化させる施策が必要となる。
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