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堺県に関するshibayan1954のブックマーク (1)

  • 「奈良県」が地図から消えた明治の頃のこと

    奈良県にはかって飛鳥浄御原京や平城京があり、古い寺院や神社が多くて日人の心のふるさとでもある。この重厚な歴史のある「奈良県」という県名が、かって地図から消えたことがあることなど思いもよらなかったが、明治時代の11年半にわたって奈良県が消滅していることを最近インターネットで知った。 「なら」は「奈良」と書いたり「寧楽」と書いたり「平城」とも表記されるが、平安時代から鎌倉時代にかけて東大寺や興福寺の門前町として「奈良町」が生まれ、江戸時代には奈良町に奉行所がおかれて政治の中心地となっていた。 明治新政府も奈良町に大和国(郡山藩、高取藩、柳生藩など)鎮撫総督府をおき、慶応4年に「奈良縣」と名付けられた。 明治時代に「奈良縣」は「奈良府」と呼ばれたり、また「奈良縣」に戻ったりめまぐるしく名前が変わっただけでなく、境界線も何度も変わっている。たとえば、明治3年には吉野郡あたりは「五条縣」であったし

    「奈良県」が地図から消えた明治の頃のこと
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/10
    明治9年4月に府県の統廃合が行われて奈良県は堺県に編入され、ついで明治14年には堺県が大阪府に編入されてしまった。要するに明治20年11月に再び奈良県が誕生する迄の11年半「奈良県」は地図上に存在しなかった。
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