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島根県に関するshibayan1954のブックマーク (1)

  • 「鳥取県」の消滅から再置以降の時代と鳥取の不平士族の動き

    前々回の記事で明治9年(1876)になって鳥取県は島根県に編入されることになり、再置される明治14年(1881)までの5年間にわたり「鳥取県」という名が地図から消滅したことに触れた。 2014年の県内総生産額で比較すると島根県が23,823億円に対し鳥取県が17,791億円、人口で比較しても島根県が697千人に対し鳥取県が576千人なので、経済力も人口も島根県のほうが上である。県庁所在地である松江市と鳥取市を比較しても、松江市の人口は206千人に対し鳥取市の人口は193千人。経済規模を調べても松江市の市内総生産8541億円に対し鳥取市は6419億円であり、いずれにおいても松江市の方が優位にある。 では、明治の初めの頃はどうであったのか。 Wikipediaの『府藩県三治制下の日の人口統計』に明治維新から廃藩置県までの人口統計 が紹介されている。 https://ja.wikipedia.

    「鳥取県」の消滅から再置以降の時代と鳥取の不平士族の動き
    shibayan1954
    shibayan1954 2018/01/27
    鳥取県の中心となった 旧鳥取藩と、島根県の中心部となった旧松江藩とを比較すると、人口も石高も旧鳥取藩の方が格上だったのだが、明治9年に鳥取県が島根県に編入され「鳥取県」という名前が消滅してしまった。
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