タグ

2018年1月27日のブックマーク (2件)

  • 廃藩置県で明治政府は県の名前や県庁の場所をどういう基準で決めたのか

    子供の頃に「1都1道2府43県」と覚えて、全国に「47都道府県」があることを学んだのだが、明治4年(1871)7月の廃藩置県で全国の「藩」が「県」となって明治政府の直轄となった時には、1使(開拓使)3府(東京府・京都府・大阪府)302県が存在した。この時点では江戸時代の藩や天領の境界をほぼそのまま踏襲したものであったために飛び地が各地に残り、同年の秋には3府72県に統合されたという。 その後県の数は徐々に少なくなり、明治5年(1872)69県、明治6年(1873)60県、明治8年(1875)59県、明治9年(1876)35県と合併が進められていったのだが、今度は面積が大きすぎたために地域間対立が起きるなどの問題が出て明治22年(1889)に3府43県となって落ち着くことになる。県の数が大幅に減るとなると、新しく出来た県の名前をどうするかで揉めることになることは誰でもわかる。 明治政府はどう

    廃藩置県で明治政府は県の名前や県庁の場所をどういう基準で決めたのか
    shibayan1954
    shibayan1954 2018/01/27
    廃藩置県後たる明治4年10月より5年6月までの間に改置した県名は、皇政復古に勲功のあった大藩地方の県名と錦の御旗に刃向かった大藩、日和見の曖昧な態度であった大藩地方の県名のつけ方に差がつけられている。
  • 「鳥取県」の消滅から再置以降の時代と鳥取の不平士族の動き

    前々回の記事で明治9年(1876)になって鳥取県は島根県に編入されることになり、再置される明治14年(1881)までの5年間にわたり「鳥取県」という名が地図から消滅したことに触れた。 2014年の県内総生産額で比較すると島根県が23,823億円に対し鳥取県が17,791億円、人口で比較しても島根県が697千人に対し鳥取県が576千人なので、経済力も人口も島根県のほうが上である。県庁所在地である松江市と鳥取市を比較しても、松江市の人口は206千人に対し鳥取市の人口は193千人。経済規模を調べても松江市の市内総生産8541億円に対し鳥取市は6419億円であり、いずれにおいても松江市の方が優位にある。 では、明治の初めの頃はどうであったのか。 Wikipediaの『府藩県三治制下の日の人口統計』に明治維新から廃藩置県までの人口統計 が紹介されている。 https://ja.wikipedia.

    「鳥取県」の消滅から再置以降の時代と鳥取の不平士族の動き
    shibayan1954
    shibayan1954 2018/01/27
    鳥取県の中心となった 旧鳥取藩と、島根県の中心部となった旧松江藩とを比較すると、人口も石高も旧鳥取藩の方が格上だったのだが、明治9年に鳥取県が島根県に編入され「鳥取県」という名前が消滅してしまった。