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明治天皇に関するshibayan1954のブックマーク (2)

  • 正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える

    京都に生まれ育ったこともあって、京都御所の一般公開には何度か行った。 京都御所は毎年春と秋の2回一般公開が行われ、紫宸殿や清涼殿などが公開されるのだが、公開日数がそれぞれ5日程度と短く、期間中は大勢の観光客が訪れる。 上の画像は3年前の春に公開の時に撮った紫宸殿だが、この建物の中央の奥に天皇が即位される儀式で天皇の御座(ぎょざ)として用いられる「高御座(たかみくら)」の一部が見える。 この時は「現在の高御座は古制に則って、大正天皇即位式の際に造られたものです」との解説板をあまり深く考えずに読んだだけだったのだが、最近になって、「高御座」が東京の皇居には存在せず、京都御所に常設されていることを知った。 「高御座」が京都に常設されているために、明治天皇のあとの大正天皇、昭和天皇の即位の大礼はいずれも京都御所で執り行われている。今上天皇の即位の際には、この「高御座」を東京の皇居まで運んで大礼が行

    正式な手続きなしで「東京遷都」が強行された背景を考える
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/08
    明治二年(1869)三月明治天皇は京都を離れて東京へと遷り、翌年には太政官もそれを追った。しかし遷都の詔は発布されておらず、天皇が即位される儀式で用いられる高御座(たかみくら)は今も京都御所に残されている。
  • 「明治天皇すり替え説」を追う

    2年以上前にこのブログで「明治の皇室と仏教」という記事を書いた。 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-125.html 内容を簡単に振り返ると、明治政府は明治4年9月24日の「皇霊を宮中に遷祀する詔」により、上古以来、宮中に祀られていた仏堂・仏具・経典等、また天皇・皇后の念持仏など一切を天皇家の菩提寺である京都の泉涌寺に遷し、その代わりとして神棚が宮中に置かれて、宮中より仏教色を一掃することになった。その時に3人の皇族の女性が明治政府からの還俗の強要を敢然と拒否したことを記事の中で紹介したのだが、皇族の男性が反対したことがなぜか見えて来ないのである。 私はこの記事でこのように書いたのだが、その気持ちは今も同じである。 「皇室で仏教は1400年以上の歴史があり、江戸時代までは皇族は仏教徒であり仏教を保護してきたのだ。まして、明治天皇に

    「明治天皇すり替え説」を追う
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/05
    土佐藩出身の田中光顕が「明治天皇は孝明天皇の皇子ではない」と述べ、学習院院長を務めた元宮中顧問官の山口鋭之助氏も、元首相の岸信介氏も同様のことを述べているという。明治天皇はすり替えられたのか。
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