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樹下茂国に関するshibayan1954のブックマーク (1)

  • 神仏分離令が出た直後の廃仏毀釈の首謀者は神祇官の重職だった

    このブログで、岐阜県安八郡神戸(こうど)町にある日吉(ひよし)神社に三重塔が残されていることを先月書いた。 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-338.html この日吉神社は弘仁8年(817)に伝教太師 (最澄)が近江坂の日吉神を勧請したことにはじまると伝えられており、かつてこのあたりは比叡山延暦寺の荘園があって、その荘園を鎮守する神社として発展したという。 かつては「日吉」は「ひえ」と読み、比叡山を意味するのだそうだが、全国に日吉神を祀る神社は2000社ほど存在し、その総社が比叡山の滋賀県側の麓にある日吉大社(大津市坂)である。 神戸町の日吉神社には美しい三重塔が残されているのだが、その総社である日吉大社については、明治維新時の廃仏毀釈で仏教施設や仏像仏具が徹底的に破壊されてしまっている。実は、この日吉大社の廃仏毀釈は、

    神仏分離令が出た直後の廃仏毀釈の首謀者は神祇官の重職だった
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/12/03
    明治の初めに神祇官が神仏分離令を出したのち、多くの仏像や仏具の破壊を最初に主導したのは日吉山王権現の社司であった樹下茂国で、彼は神祇官神祇事務局権判事で神仏分離令に関与した人物である。
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