学生時代に学んだ歴史では二度にわたる蒙古襲来を終息させたのはいずれも「暴風雨」だったと記憶しているが、こんな国難の時に二度にわたり自然の力に救われたことは、人知を超えた偉大な力によって奇跡的に国が守られたようなイメージを多くの人が持つことだと思う。 「神国思想」は二度の蒙古襲来時に二度とも「神風」が吹いたと言う話があってはじめて成立するような考え方だと思えるのだが、最近の研究では第一回目の文永の役では「神風」は吹かなかったという説が有力なのだそうだ。 たとえば、市販されている山川出版社の高校教科書『もう一度読む山川日本史』では、文永の役に関する記述は昔の教科書とは異なるようである。 「元寇」の復習も兼ねて、この教科書を引用してみる。 「1274年(文永11年) 、元は徴発した高麗の軍勢をあわせて対馬・壱岐をおかし、九州北部の博多湾に上陸した。太鼓やどらを打ちならし、毒をぬった矢や火薬をこめ
![「文永の役」で蒙古軍を退却させたのは「神風」だったのか~~元寇その1](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/04cd82bca25316e2a6a11f6485bd8acc5db5ef68/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblog-imgs-62.fc2.com%2Fs%2Fh%2Fi%2Fshibayan1954%2F20130629155629e60.jpg)