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神風と文永の役に関するshibayan1954のブックマーク (2)

  • 熾烈を極めた「文永の役」の戦闘でよく闘った鎌倉武士たち~~元寇その2

    前回は、蒙古軍が最初に日を攻めてきた「文永の役」については、元や高麗の史料を見る限りでは「神風」が吹いて蒙古撤退させたとは考えにくく、最近の教科書では「神風」が出てこないことを紹介した。また当時の日側の史料には「神風」が吹いて蒙古軍を撤退させたとする記録があるのは、幕府にとっても、また幕府の要請を受けて「蒙古退散」祈祷してきた寺社にとっても、「神風」があったことにした方が都合が良かったからではなかったか、ということを書いた。 いつから教科書の内容が変わったのかは良くわからないが、私も含めて、二度とも暴風雨が蒙古軍を退散させたと学んだ世代にとっては、元寇については大規模な戦闘は行われなかったし、わが国には大きな被害はなかったというイメージが強いのではないかと思う。 しかし「文永の役」に「神風」が吹かなかったことを知ってから、「元寇」のことをもう少し詳しく知りたくなって調べてみると、日

    熾烈を極めた「文永の役」の戦闘でよく闘った鎌倉武士たち~~元寇その2
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/06
    文永の役について『元史』では蒙古軍の撤退の理由を「統率を失い、また矢も尽き」と書いている。武器が底をつけば、これからまだまだ繰り出される日本軍には全滅することになると考えるのは当然ではないのか。
  • 「文永の役」で蒙古軍を退却させたのは「神風」だったのか~~元寇その1

    学生時代に学んだ歴史では二度にわたる蒙古襲来を終息させたのはいずれも「暴風雨」だったと記憶しているが、こんな国難の時に二度にわたり自然の力に救われたことは、人知を超えた偉大な力によって奇跡的に国が守られたようなイメージを多くの人が持つことだと思う。 「神国思想」は二度の蒙古襲来時に二度とも「神風」が吹いたと言う話があってはじめて成立するような考え方だと思えるのだが、最近の研究では第一回目の文永の役では「神風」は吹かなかったという説が有力なのだそうだ。 たとえば、市販されている山川出版社の高校教科書『もう一度読む山川日史』では、文永の役に関する記述は昔の教科書とは異なるようである。 「元寇」の復習も兼ねて、この教科書を引用してみる。 「1274年(文永11年) 、元は徴発した高麗の軍勢をあわせて対馬・壱岐をおかし、九州北部の博多湾に上陸した。太鼓やどらを打ちならし、毒をぬった矢や火薬をこめ

    「文永の役」で蒙古軍を退却させたのは「神風」だったのか~~元寇その1
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/06
    「神国思想」は二度の蒙古襲来時に二度とも「神風」が吹いたと言う話があって初めて成立するような考え方だと思えるのだが、最近の研究では第一回目の文永の役では「神風」は吹かなかったという説が有力である。
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