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隋書に関するshibayan1954のブックマーク (1)

  • 聖徳太子についての過去の常識はどこまで覆されるのか

    以前このブログで、明治4年の寺領上知の令で法隆寺の境内地が没収され、収入源も断たれたうえに廃仏毀釈で堂宇を荒らされ、雨でも降ればあちこちに水が漏るような状態になっていたことを書いた。 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-80.html この時期には僧侶の生活のために宝物を売りに出した寺院が多かったのだが、法隆寺は管主千早定朝の大英断により聖徳太子にかかわる宝物の多くを、一番安全な皇室に献納して国民の文化財を守り、1万円の下賜金を得て堂宇を修理し、金利を運営費に充てて寺院として存続できる道を開いたのである。 この時に皇室に献納した宝物は300点を超え、その中に「聖徳太子および二王子像」があり、現在皇室ゆかりの品として御物(宮内庁蔵)となっている。 この「聖徳太子および二王子像」が、現存する最古の肖像画として昔の教科書や歴史書に必ず掲載

    聖徳太子についての過去の常識はどこまで覆されるのか
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/26
    『日本書紀』では女帝である推古天皇の在位中であり、聖徳太子が摂政だったことになっている。ところが『隋書』では、この時期に倭国の王位にあったのは、男王であり、裴世清はこの男王に直接会って話をしている。
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