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2009年11月28日のブックマーク (4件)

  • 河野太郎公式サイト | 民主党の事業仕分け

    民主党の事業仕分けを見に行く。 正直、うらやましい。 河野チームが去年からやった事業仕分けは、自民党の中では反乱軍のように扱われた。国立マンガ喫茶や酒類総研のように我々が廃止を打ち出したものに平気で予算がつけられた。 我々の事業仕分けはテレビタックルを始めいくつかの番組が取り上げてくれたが、今回のように朝から晩までほとんどのチャンネルで延々と取り上げてくれはしなかった。 ちょっと、うらやましい。(いや、だいぶかな) 我々の事業仕分けがこれだけメディアに取り上げられていたら、亀井や越智、木原に石原、福田、鈴木なども当選してきただろう。 選挙が近いあの時期に、あれだけ時間と労力を使って頑張ってくれたのに、申し訳ない。 われわれが廃止といった事業に概算要求で予算がつけられ、それがまた、今回のこの事業仕分けで廃止とされている。 スカッとするようなしないような複雑な気持ちだ。もう少し、我々の主張が通

  • ティルダ・スウィントン - Wikipedia

    ティルダ・スウィントン(Tilda Swinton, 1960年11月5日 - )は、イギリスの女優。2007年公開の『フィクサー』でアカデミー助演女優賞を受賞した。 生い立ち[編集] ロンドンにて、キャサリン・マチルダ・スウィントン(Katherine Mathilda Swinton)として生まれる。父方の祖先はスコットランドの名家[1]、母親はオーストラリア人[2][3]。1983年にケンブリッジ大学を卒業(専攻は政治学と社会学)。 キャリア[編集] 大学卒業後、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで演劇を学ぶ。長身、クールな風貌と知的な演技が評価され、魔女や天使、女王、ボスなどキーマン的な存在感ある役柄が多い。 1980年代に映画監督のデレク・ジャーマンと知り合い、1986年に同監督作品の『カラヴァッジオ』で映画デビュー。以後、ジャーマン作品の常連となる。1991年公開の『エドワー

    ティルダ・スウィントン - Wikipedia
  • ケイト・ブランシェット - Wikipedia

    ケイト・ブランシェット(Cate Blanchett AC, 名: キャサリン・エリーズ・ブランシェット、Catherine Élise Blanchett, 1969年5月14日 - )は、オーストラリア出身の女優。 生い立ち[編集] ビクトリア州メルボルンで生まれる。父親のロバート・ブランシェットはアメリカ人の広告会社の重役であり、ケイトが10歳の時に心臓発作により他界している。母親のジューン・ブランシェットはオーストラリア人の元教師、現会社員。兄のロバートはコンピュータープログラマー、妹のジェネヴィーヴはクイーンランド・シアター・カンパニー所属のセットデザイナー。 メルボルン大学メソジスト女子カレッジで美術史と経済学を学んでいたが中退し、オーストラリア国立演劇学院で演劇を学ぶ。1992年に同演劇学院を卒業、舞台女優としてキャリアを始める。 キャリア[編集] 1993年に『Kafka

    ケイト・ブランシェット - Wikipedia
  • 「ここがヘンだよ日本の英語教育」を外国人が語るスレッド

    元ネタ japantoday.com 前回の復帰記事にたくさんの励ましのコメントを頂きました。 弱ってる心には、温かくて優しい言葉が凄く効きますね。 コメント読みながら「惚れてまうやろー!」と脳内絶叫。^^ とにかく身に沁みました。当にありがとうございます。 さて、今日のお題ですが、外国人が見た日英語教育というテーマ。 といっても、どこが悪いのか?という最初からネガティブな方向になってます。 自分も一応、日英語教育を学校で受けましたが、どんなことを習ったか ほとんど憶えてなかったりします。 かろうじて記憶に残ってるのは、いくつかの単語だけというありさま。 しかし、それすらもかなり怪しい知識だと思い知らされてます。 たとえば、 " for " という単語。 以前、この言葉を聞いてすぐに思い浮かべる和訳は「~ために」でした。 ところが、このブログを初めて色んな英文を翻訳していくうちに

    「ここがヘンだよ日本の英語教育」を外国人が語るスレッド