北村紗衣という「ひと」 : 「男みたいな女」と言う場合の「女」とは、 フェミニズムが言うところの「女」なのか? 『「ひと」の「首尾一貫性」とか「連続性」というのは、ひとであるための論理的、解剖学的な特性ではなく、むしろ、社会的に設定され維持されている理解可能性の規範なのである。セックスとかジェンダーとかセクシュアリティといった安定化概念によって「アイデンティティ」が保証されるなら、「ひと」という概念が疑問に付されるのは、「首尾一貫しない」「非連続的な」ジェンダーの存在が出現するときである。なぜならそのような存在は、ひとのように見えはしても、ひとが定義されるときの文化的に理解可能なジェンダー規範には合致しないものであるからだ。 「理解可能な」ジェンダーとは、セックスと、ジェンダーと、性的実践および性的欲望のあいだに、首尾一貫した連続した関係を設定し、維持していこうとするものである。換言すれば