タグ

増田と育児に関するshichiminのブックマーク (3)

  • 復讐するために子育てしてる

    40歳で子供ができた。 私にそっくりな顔のその子は、もう4歳になって幼稚園に通っている。 毎日楽しそうに友達と走り回っている。何がそんなに楽しいのか。 子育てをしていると、嫌でも昔の自分が思い返されてしまう。 幼稚園。なぜだろう、先生の声は私の耳には届いてこないことが多かった。 みんながわいわい遊びはじめても、私の世界はよく半径1mほどに縮まる。 足元への焦点はよく合った。 ひとり無表情で考えていたことは、「自分に子供ができたら、うん子と名づけていじめてやろう。」だった。 学校が嫌だった。 ひとりぼっちの休み時間は、早く終われと数を数えて、長すぎる地獄のような時間をやり過ごした。 学年が変わるたび、なんとか黒い内面を隠し「普通の子」に擬態して、周りに溶け込めないかと期待したが、いつも失敗した。 私の母親は明るく楽しい人だった。 平日は遅くまで仕事をしていたが、休みの日には色んなところへ連れ

    復讐するために子育てしてる
  • 子が死んで楽になってしまった

    子、発達障害の診断はないんだけど、いわゆる「手のかかる子」で、療育なんかにも通わせていた 手のかかる子だった 走り回るわ、叫ぶわ、飯はわんわ、預けたら他の子と喧嘩するわで、すごかった それで、ある日どうやってか家を抜け出して、交通事故で死んだ メチャクチャ楽になってしまった そりゃ最初は悲しかったんだけど、1年経って、冷静に考えてみて、子の死がプラスかマイナスかっていうと、正直ややプラスな気がしてならない 楽になったんだホントに 問題はもう起きないし、子の将来のこととか考えなくていいし、金は余る ぶっちゃけ嫌いだったんだよな、子…… 愛情というか、愛着は当然なくはなかったけど、クソガキが!死に晒せ!と思うことのほうが多かった 実際死に晒した 喪ってわかる大切さ、なかった ああ楽になったな……という気持ちがマジで強い 週末、夫婦でゆっくり過ごせるのが楽すぎる ただ、対外的には悲劇っぽさを出

    子が死んで楽になってしまった
  • 子供と二人で毎日過ごしてた時

    忙しくて家に帰れないけど優しい夫と、生まれたばかりの子供とずっと三人で暮らしてた。親元から離れて、知り合いが余りいないところで、私は出産と育児仕事退職した。子供が大きくなったら復職しよう、保育園に預けて復職しようと思ってた。 一歳二歳のころは、気が狂いそうに辛かった。同時にすごく子供は可愛くて可愛くて寝ているところを見ると胸がキュンキュンしたんだけど、毎日毎日育児だけで話す人も居なくて、インターネットで日記を書いたとしても、むなしくてだめだった。 夫は時間を見つけていっしょに買い物行ったり生協を利用を進めてくれたり、仕事の帰りには買い物してくれたりした。でも帰りはとにかく遅くて、夜の九時とか十時とかで、朝は七時に出ていく。その間私は子供と一緒に過ごしてた。散歩したり図書館行ったり、お話したり、公園行ったり、思いつく限り、色々した。楽しかったと思う。今、当時の子供のビデオをみると、キャー

    子供と二人で毎日過ごしてた時
  • 1