日本の文化人類学の開拓者で文化勲章受章者、国立民族学博物館(民博)初代館長で顧問、民族学者、京都大名誉教授の梅棹忠夫(うめさお・ただお)氏が3日に、自宅で老衰のため死去した。90歳だった。自宅は公表していない。葬儀・告別式は近親者のみで執り行われた。喪主は妻、淳子(じゅんこ)さん。連絡先は大阪府吹田市千里万博公園10の1、民博気付。 京都市出身。京都大理学部卒。動物学を専攻していたが、内蒙古の学術調査を通じて民族学、人類学に転じた。京都大総合学術調査隊に加わった経験をもとに、昭和32年、「文明の生態史観序説」を発表。西欧文明と日本文明はほぼ同じ歩みで発展したとする独自の「並行進化説」を打ち出し、以後は実証的な文明学の確立に尽力した。 京都大人文科学研究所教授などを経て、昭和49年に国立民族学博物館初代館長に就任した。同館を民族学をはじめとする周辺科学の学際研究センターへと育て上げた。一方で