〈 はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る 〉 有名な歌の印象からだろうか、明治期の歌人・石川啄木には、「才能に溢れながら、清貧の中で死んだ不遇の人」というイメージがある。だが、実際の啄木は、妻子を養うこともせず、周囲から借金をしては遊郭にせっせと通う、まさにダメ男だった。 1909年、23歳で職を得た啄木は、家族を函館に残して上京。そこから2ヵ月あまり、ローマ字で日記をつけており、『啄木・ローマ字日記』として刊行されている。 この日記から垣間見える啄木の趣味が、江戸時代の官能小説、いわゆる〈艷本〉の筆写だ。 「『(花の)朧夜』の方をローマ字で帳面に写して、3時間ばかり費やした」(4月14日の記述) 『花の朧夜』は、複数の男女のセックスの描写がひたすら続き、最後は一堂に会して乱交するという、過激な内容。啄木はこの本が相当気に入ったようで、別の日にも、「其の(
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