震央分布図2024年12月28日23:30現在 震度1以上を観測した地震の震央を地図上に表示。どこで地震が頻発しているかを見ることができます。 24時間 7日間 30日間 100日間 もっと見る
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コンビニ勢力地図2024-2025 三重にファミマが多くないか? このところ三重県と愛知県に行く機会が多かったのだが、車で国道を走ってるとやたらファミマを見る気がしていた。地域によってコンビニの種類に偏りがあるとは思っていたが、実際どうなのか。調べてみたのでお伝えしたい。 これが日本国…
「折石」津波耐え勇ましく 気仙沼・唐桑 大津波に耐え、以前と変わらぬ姿を見せる折石=6日、気仙沼市唐桑町 宮城県気仙沼市唐桑町の観光名所、「折石(おれいし)」が、津波被害を受けずに雄々しく立ち続けている。地元では、折れなかった石にあやかり「心が折れることなく、復興に立ち向かいたい」との声が上がっている。 折石は唐桑半島のシンボルで、海にそびえる高さ16メートルの大理石の石柱。明治三陸大津波(1896年)の際、先端部分の約2メートルが折れ、その名が付いたとされる。 半島の外側にあるため、大津波の襲来で被害が心配されていた。大震災を乗り越えた勇ましい姿に、地域の人は感銘している。 唐桑町観光協会の加藤宣夫顧問(69)は「大津波によく耐えてくれ、勇気をもらった。今後も気仙沼のシンボルとして地域で守り続けたい」と話していた。
高齢者移送 職員が奔走 気仙沼の介護施設 腰まで泥水に漬かりながら高齢者を避難させた千田さん。車いすには今も泥がこびりついている=26日、気仙沼市鹿折中 東日本大震災の津波で、気仙沼市の介護老人保健施設「リバーサイド春圃(しゅんぽ)」は、利用者の半数近い44人の高齢者が死亡、1人が行方不明になった。助かった55人は近くの市鹿折中に身を寄せたが、寒さで命を落とす人もあった。職員は他の施設に協力を求めて奔走、25日までに全員を環境の整った施設に移すことができた。 「一日も早く、温かい布団や食事のある場所に移してあげたかった」。リバーサイド春圃の看護師千田淑子さん(61)は26日、高齢者たちが前日まで過ごした鹿折中体育館で涙を浮かべた。 リバーサイド春圃は気仙沼湾に流れる鹿折川沿いにあり、60代から最高齢105歳までの高齢者100人が入居。約30人が通所していた。 地震があった11日、約5
仮設年内3万戸 漁業株式会社化も 宮城知事、復興計画語る 河北新報社のインタビューに答える村井宮城県知事 村井嘉浩宮城県知事は東日本大震災の発生から11日で1カ月を迎えるのを前に、河北新報社のインタビューに応じた。被災者向け仮設住宅の整備に関し「年内の3万戸完成を目指す」と強調。復興計画の策定では、漁業の株式会社化も検討する考えを示した。(聞き手は長谷美龍蔵) ―大震災の発生から1カ月を迎える。 「発生当初は情報が完全に途絶され、どこの避難所にどれだけ避難者がいるか分からず、食料も燃料も不足して本当に混乱した。現在、混乱期は脱したが、避難者をプライバシーの保てる生活に早く戻したい」 「津波が押し寄せた瞬間は、テレビ映像を見ながら『逃げて』と祈ることしかできず、県民の命や財産を守る立場の自分が情けなく思えた。今、避難所では劣悪な環境で、被災者が力を合わせて頑張っている。一日も早く復興さ
思い願い誓い重く 宮城沿岸避難者本社アンケート 津波で流された自宅の一部を見つけて立ちつくす男性。生活再建の道のりは険しい=5日、仙台市若林区荒浜 子どもの笑顔に周囲もほほ笑む。避難所の空気がいっとき緩む=9日、気仙沼市の階上中 河北新報社が、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県沿岸部の避難者に実施したアンケートでは、津波対策の課題が指摘され、今後の備えについても貴重な意見が寄せられた。家族や自宅、地域に対するさまざまな思い、将来への不安もつづられた。 <複雑 自宅あった場所再び住みたいか> 「自宅のあった場所に再び住みたいか」との質問に寄せられた多くの回答からは、津波への恐怖と家や地域への愛着との間で揺れる避難者の思いが読み取れる。 回答した394人のうち、半数近い189人が「住みたくない」を選んだ。住民の多くは、地盤沈下や防潮林、防潮堤の崩壊など、震災によって住環境が危険に
元の場所で生活「不安」7割 宮城沿岸避難者アンケート 河北新報社は、東日本大震災で発生した大津波により甚大な被害を受けた宮城県沿岸部の避難者にアンケートを行い、結果をまとめた。人や家をのみ込んだ大津波の爪痕は深く、7割の避難者は自宅があった場所に再び住むことを拒んだり、ためらったり、不安を訴えた。地震に比べて、津波への備えの意識がやや低かったことも分かった。 「自宅のあった場所に再び住みたいか」との質問には、「住みたくない」が48.0%で最も多く、「迷っている」が22.8%で続いた。「分からない」は7.1%。「住みたい」は22.1%にとどまった。 「住みたくない」「迷っている」の理由は、多くが津波に再び襲われることへの不安。津波体験の恐怖に加え、地盤沈下や防災施設の損壊などの問題点を挙げる人が目立った。 地震対策については「強く意識していた」20.8%、「どちらかというと意識していた
震災ごみ「100年分」 石巻市処分場パンク必至 災害ごみが山になった仮置き場=10日、石巻市南境 東日本大震災で発生した宮城県石巻市の災害ごみは、同市の年間処理量の約100年分に上る見通しになっている。撤去を請け負う業者が足りず、処理の長期化は必至。市は県外の自治体に、ごみの引き取りなどに支援を求める方針だ。 宮城県は、震災で発生した石巻市の廃棄物(船舶、自動車除く)を約538万トンと推計。同市が2009年度に処理した総量5万8300トンの約100倍の規模だ。 石巻市の試算では、トラックと重機、作業員3人の50チームがフル稼働すると、3カ月ほどで片付くが、実際には20チームも集まっていない。 処分が進まないため、一部住民は自力で市総合運動公園など3カ所の仮置き場に搬入し始めた。市は一部をリサイクルに回した上で、最終処分場に捨てる方針だが、「処分場は確実にあふれる」と危惧する。 事態
タレント、ビートたけし(64)が、11日放送のテレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル春の3時間SP」(後7・0)の収録に東日本大震災の被災者を招き、徹底討論した。収録後、サンケイスポーツの取材に応じ、所属事務所スタッフの肉親が震災の犠牲になったことを吐露。番組で、被災者の訴えに自らの気持ちを重ね、国の危機管理に疑問を呈した。また、自身も“節油”のため高級車からワンボックスカーに乗り換えたことを明かした。(サンケイスポーツ) いつもは毒舌で世相を斬りまくるたけしだが、戦後最大の危機に直面した日本の現状に心痛を隠せなかった。 11日放送の「TVタックル」は、「未曾有の大地震から1カ月…危機管理&統一地方選大反省会SP」と銘打ち、東日本大震災と福島第1原発の事故を徹底討論。 番組には津波で友人、漁業会社を失った宮城・気仙沼市の臼井荘太郎さん(39)と、放射能の風評被害に直面した福島・南会津郡の
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