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批判に関するshimomurayoshikoのブックマーク (9)

  • 価値観から逃れられないからこそ、いったんそこを保留にすることが重要になるという話 - 「良い」「悪い」で見えないもの - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    何の気なしに書いたブコメに星がいっぱいついて慌てることがある。いや、私の意見に何かを感じてくれた人が多いのは単純に嬉しい。一生懸命考えて書いたブコメだと、特に嬉しい。慌てるのは、何の気なしに書いたものが思わず伸びるときだ。詰めて書いてないから、曖昧になっている。曖昧なぶん、ときには真逆に受け取られることもある。これまでも何度かそういうことがあった。そして、昨日も。 問題のブックマークコメントは、これだ。 新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔) | 現代新書 | 講談社(1/5) 「良いこと」とか「悪いこと」という言い方が、そもそも歴史に向き合う態度じゃないと思う。 2021/06/27 10:49 b.hatena.ne.jp 元の記事は、「ナチスもよいことをした」と主張する人々に対して、「それはおかしいよ」と、を紹介しながら述べるものだ。私は基的に

    価値観から逃れられないからこそ、いったんそこを保留にすることが重要になるという話 - 「良い」「悪い」で見えないもの - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • フィクションに対する政治的批判(雑感) - don't look back into the sun

    まあわたしの観測範囲の問題かもですが、オタクコンテンツはインターネット政治(ツイッター)で当に頻繁にガンガン燃えており、一体これは何なんだろう?と思います。 いわゆるいかにもオタク的なアニメや漫画といったコンテンツに限らず、洋画をはじめとしたフィクションに対しても現実的差別に基づいたあれこれの批判が寄せられる光景が多々あり、改めて「そもそも現実のあれこれではなくフィクションに対してその手の批判を向けること」そのものについて考え直したいなと最近よく思います。 そもそもフィクションを政治的に批判するとは一体どういうことなのか? ツイッターで断片的に思ったことを言うのではなく、腰を据えてそれなりに長々とした文章を書き、自分の考えを整理したい。というわけで以下個人的な雑感です。 *** (1)作者の属性に対する批判 フィクションに対する政治的批評において、最も単純(そうに見える)のは、たとえば作

    フィクションに対する政治的批判(雑感) - don't look back into the sun
  • 批判されることに対する態度について - novtan別館

    例えば、僕がここで仕事について愚痴を書いたとすると、その目的はなんだろうか。直接の人間関係がなく、ある程度内容を知らない人たちに愚痴を聞いてもらいたい?それなら全世界に発信するほどのことではないし、もう少し相応しい場があるだろう*1。であれば、きっと、愚痴の内容について、こちら側に(100%ではないけれども)正当性があることを確認したい、確認することで溜飲を下げたい、という意図があるはずだ。そういう意図がある以上、正しさの判定を求めているわけだから、その正しいと考えていることについての批判も当然発生するわけだ。ぽつりと、独り言をこぼす。でもその独り言には「誰か聞いてよ」っていう気持ちが込められて無いだろうか。そんなことはない?ならば日記帳に書けばよいのだし。 あるいは、自分の専門家的主張を専門家的な態度で表明する。批判は堂々と受けて立つ。専門家なのだから。しばし、壮大なバトルになることだろ

    批判されることに対する態度について - novtan別館
  • 批判されるのに慣れていない人たち - phaの日記

    あるAさんがブログに何かを書いたとして、どこかのBさんがAさんを批判するブログやコメントを書いて、そしてAさんがBさんの意見に対してさらに反論したり批判したりした場合に、「Aさんは反論されたり批判されることに慣れてないんですかねえ、ネット上に意見を書くということは誰から批判されるか分からないということですよ」とかいう間抜けな反論をするBさんがときどき出て来るのは何故なんだろう。 この場合に批判・反論されて焦っているのは明らかにAさんではなくBさんである。そもそもAさんは好きなことをブログに書くべきだし、Bさんがそれについて好き勝手な批判をするのも自由だし、Bさんがあまりにもアホなことを言っていたらAさんがそれを「アホか」って言うのも当然のことだ。自分は反論を書くのに自分が反論を書かれることを想定していないのはあまりにも何か抜けていると思うのだが、なんかそういうのをちょくちょく見かける気がす

    批判されるのに慣れていない人たち - phaの日記
  • 批判をするのならば「いかにして問題」に逃げないこと - 僕と懐疑の関係

    経緯*1 もとともは大槻教授が「ムペンバ効果」に対して行った批判*2がダメダメすぎるというところから始まりました*3。その反応として「捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」というエントリが立ち、「いかにして問題」の話になります。 亀さんのところの「」やTAKESANさんのところの「「原理は解らなくても良い」事に気付いた時。統計の話: Interdisciplinary」でも触れられています。 「いかにして問題」とは何か? 「その現象はいかにして起きるのか」という問題であって、「その現象のメカニズムは解明されているのか」または、「その現象のメカニズムとして妥当なものが想定できるか」という問題です。 亀さんも、TAKESANも何年か前まで*4科学的であることの要件に「メカニズムが判明していること」が含まれると考えていたことを告白しています。つまり、メカニズムが解明されていない現象は科学的なも

    批判をするのならば「いかにして問題」に逃げないこと - 僕と懐疑の関係
  • 批判と中傷を見分ける7つのポイント。 - Something Orange

    阿呆は何時も彼以外の人々を悉く阿呆と考えている。 芥川竜之助 毎日、ネットで大量に文章を発表していると、自分の書いた内容に対し、様々な意見を受け取る。 ときには元の文章の数倍、数十倍という分量になることすらある。賞賛や賛同を示すものもあるが、異論、反論なども少なくない。 まあ、少なくないのはぼくの不徳のいたすところかもしれないが、とにかく賛成意見ばかりではないことはたしかだ。 そのなかには渋々受け入れざるを得ない的確な批判もある。反対に、誹謗中傷としかいいようがない代物もある。 しかし、それはぼくがかってに批判と思い、誹謗と感じているだけのことであって、「批判」と「誹謗中傷」を明確に分かつことはなかなかむずかしい。 そこで、今日はぼくが考える「公正な批判」の特徴について書いておくことにした。裏返せば「根拠なき誹謗中傷」の特徴でもある。ネットで誰かに批判されたときなどに役立ててくれたらうれし

    批判と中傷を見分ける7つのポイント。 - Something Orange
  • 好き≠詳しいということ

    たとえば「読書が好き」という。 すると「年間何冊読んでるの?」と聞かれる。 「読むの遅いから月3冊で…まあ40冊いかないくらいかなあ」と答える。 次に来るのは「えっ、そんな少ないのに読書好きって言えるの?」 以下 「好きな作家は?」 「えーと、伊坂幸太郎とか、村上春樹かなあ」 「えっ、そんなメジャーなのしか読んでないのに読書好きって言えるの!」 「じゃあさ、伊坂幸太郎の経歴でさ、こうこうこういうのあるじゃない?あと交友関係が〜で…」 「あ、ごめん、作者のことはよくわからない。既刊は全部読んでるけど…」 「えっ、作者の周辺情報も知らないで読書好きって言えるの!」 自分は「読書が好き」としか言ってない。 を読むのが好き。 でも「そんなので読書が好きって言えるの?」っていうのは、どういうことなんだろう。 好きというのに資格がいるんだろうか。 読書にかぎらず、漫画でも、アニメでも、ゲームでも。詳

    好き≠詳しいということ
    shimomurayoshiko
    shimomurayoshiko 2013/04/21
    例えば「オタク」って「それが大好きでそれにとても詳しい人」なのかなぁと俺は思ってたんですが、最近もうわけわかんないしな。詳しくないし浅いし豚ですがラノベ好きです。
  • 批判する行為を批判することの労力|ジャッジを恐れずに表現し続けることの楽しさ

    ブログを書いていると、外部から多くの思想の押し付けや、誹謗などが必ずといっていいほど発生する。多くのブログを見ても、コメントに対するスルー力は必要であるというのが結論に達している。 殆どの場合、世の中にはいろんな人や色々な考えがあるという根底が無視される。 自分の意見を真っ向から完全否定する人を、拒絶したいという心理が必ず働くのは人間として逃れられない傾向にある。だから、ほとんどの人は、誹謗中傷をやはり「悪」「頭のおかしい人」と決めつけてしまう。 これまで仲良くしていた人でも、自分の思想と少し違うという理由で、突然人が傷つくような言葉使いで陰口をツイッターでつぶやいたりしている。今年はそれがすごく悲しい出来事だった。まわりの人からこんな事言われてますよって教えてくれたりもするので、自分からフォロー解除したりなんだりしててもそれはあまり意味がなかったりするのだ。 もちろんだが、否定的になる。

    批判する行為を批判することの労力|ジャッジを恐れずに表現し続けることの楽しさ
  • 批判とは (ヒハンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

    批判単語 79件 ヒハン 3.1千文字の記事 38 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 反省や否定としての「批判」評価や議論としての「批判」カント哲学における「批判」関連項目掲示板批判とは、 人や物事の誤った箇所や悪い部分を、根拠を示しながら論理的に指摘し、改善を求めること 1.から転じて、特定の物事に対する信頼性を欠いたネガティブな否定や非難、攻撃をすること。 (特に文化・芸術の分野において)人物や作品などの良し悪しを判断し評価する、それについて議論を行うこと。批評とも言われる。 (哲学の分野において)人間の知識・思想の認識の基盤を研究・把握することで成立の条件や妥当性、限界などを考察すること。 を意味する。 反省や否定としての「批判」 この定義における「批判」は主に特定の物事について誤った部分を指摘したり、それらの改善を求めることを指して使われる。その役割柄否定的な意味合いが付加しがち

    批判とは (ヒハンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
    shimomurayoshiko
    shimomurayoshiko 2013/03/08
    享受の更新は個人の背景付き価値観によって相対化される(常にn+1で記述される)から、背景をこれごと一斉同一化しない限りじゃやっぱ理想論では。語義では多分これこのものなのにね。
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