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2011年12月1日のブックマーク (9件)

  • いわき市・40代女性(会社員) | TheFutureTimes

    生まれ育った故郷は、3月11日から変わってしまった。不条理な現実に耐え忍び、そして静かに怒っています。 地震、津波、原発事故、風評被害という厳しい現実。震災で発生した瓦礫の広域処理の問題が、飽の時代の光と影を表していると思う。都会の栄華のための電力を福島で作り出し、支えていたのにもかかわらず、原発事故後の瓦礫処理を受け入れない東京電力圏内の自治体が多いことには、「自分達さえ都合よければいいの?」と悲しくなります。でも、こういった福島の現実がニュースに取り上げられる度に、人々に気づきを与えている。それが、これからの人々の意識が変わるきっかけになると思う。福島はこれから、日や世界の人々の善意や知恵が集まる場所になる、と信じたい。 できるかぎり、3月11日前の福島に戻れるように、国や自治体、電力会社が福島の人々に万全の保障をしてほしい。福島を経済特区にして、新しい産業の実験場にする。自然エネ

    shimomurayoshiko
    shimomurayoshiko 2011/12/01
    なーんか悪文。下村が言うなよって話ではあるが。ニュアンスはなんとなく汲めなくもないが要約できんこれ。
  • くろさん on Twitter: "非通知で就活中の友人に電話をかけて「もしもし、株式会社○○の人事部…だとおもった?残念、さやかちゃんでした!」と言ういたずらが今年絶対流行るし、死人が出る"

  • GOTOU YUNI

  • トレーナー「お、お前オスだったのか・・・!?」サーナイト「はい」 - ゴールデンタイムズ

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2011/11/28(月) 00:33:46.75 ID:F+/XsZ8I0 トレーナー「いやいやいや、無いでしょ。だってほら、サーナイトってメスじゃん」 サーナイト「マスターが何を仰しゃっているのか分からないのですが」 トレーナー「いやいや、だってメスでしょ。ほら、声とか超高いじゃん、女の子じゃん」 サーナイト「はぁ、まぁそうですけども、でも私オスですよ」 トレーナー「無い無い、無いよ。だってお前さ、ラルトスのときから俺と一緒じゃん?」 サーナイト「はい」 トレーナー「ラルトスとかキルリアとか超メスじゃん。初めてサーナイト属、見る人間が判断したら誰が見てもメスって思うでしょ?」 サーナイト「私は最初からオスでしたが」 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2011/11/28(月) 00:34:25

    shimomurayoshiko
    shimomurayoshiko 2011/12/01
    悪魔トレーナー「おいおい、お前ホモかよぉ(驚愕)!?俺はゴメンだね、ペッ」
  • 思考錯誤 - FC2 BLOG パスワード認証

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  • Дневник Сейтена:耳を刈る話

    『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』(石川博品作、ファミ通文庫、2009年)なる面妖なタイトルのラノベが出版されたが、「イラストが何故速水螺旋人ではないのか」との声が挙がっていたとのことで、早速読んで見たところ、やっぱり速水先生の挿絵が頭に浮かぶのです。 実際に挿絵を描いたイラストーターには何の瑕疵もないし、かわいらしいイラストはわるくない。けれども、多民族の坩堝かつ権力闘争の蠢く学園で、アクの強い登場人物が画面のここそこで騒動を繰り広げている様は、速水絵を連想させてやまないのです。 小説そのものはかなり人を選ぶ作風ですね。文章の半分近くが、主人公の妄想から構成されているという特異な構造は、ややもすると何が起きているのかわかりにくくさせます。しかし主人公の眼前で繰り広げられる現実を余所に、脳内に秘めた妄想を際限なく発達させる様を描く様はなかな巧み。様々な小ネタを過剰なぐらい盛り込んでいるのに

  • アサウラ『バニラ―A sweet partner』と冲方丁――「虐げられた少女の、抗撃としての銃」/「まなざし」の暴力性 - 猫拳@はてなブログ

    『バニラ』は、アサウラのデビュー作である『黄色い花の紅』の続編的作品といえる。一部登場人物も共通するが、それ以上に、「虐げられた少女の、抗撃としての銃」という印象的なモチーフだ。 前作では「虐げられた少女」に「かつて少女であった大人の女」が「抗撃の手段を与える」という筋立てであったものが、『バニラ』では「虐げられた少女二人」が「たまたま転がり込んできた抗撃の手段」をもって世界に儚い抵抗を行う形になっている。また、雰囲気程度だった百合要素も、ストレートに同性愛として表現されている。 冲方丁の場合 『バニラ』を読んで真っ先に連想したのが、冲方丁『マルドゥック・スクランブル』だった。これもまた「虐げられた少女の、抗撃としての銃」というモチーフを扱う作品だが、その現れは大きく異なっている。 冲方においては、『マルドゥック・スクランブル』を中心として、その後継的作品である『オイレンシュピーゲル』およ

    アサウラ『バニラ―A sweet partner』と冲方丁――「虐げられた少女の、抗撃としての銃」/「まなざし」の暴力性 - 猫拳@はてなブログ
  • [小説]「ぼくと魔女式アポカリプス」に見るゼロ年代の想像力 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 2007-08-31

    1日で1kgやせるほどに外回り。死ぬぜ。水分補給してたのになあ。でも帰ってきてから水分補給しまくっているので、すぐに元の体重に戻る。アルェー? 帰りがけに図書館に滑り込みセーフして、山のようにを借りてくる。しかし積読多いのになにやってんだか。 「ぼくと魔女式アポカリプス」においては、セカイ系と決断主義の想像力が色濃く見える。 あらすじはこうだ。主人公はヒロインとの出会いをきっかけにして、ある種族の再生と、他の種族の滅亡をかけたデスゲームの参加者――代替魔術師にされてしまう。代替魔術師は、すでに死亡した存在であり、それぞれの種族の持つエネルギー源によって「生かされている」存在である以上、基的にそれぞれの種族の基目的――他の種族を滅ぼし、それが持つエネルギー源を奪取することで、種族の再生を行う――に従わなければならない、という設定がある。 このように「きみとぼく」の出会いが「それぞれの世

    [小説]「ぼくと魔女式アポカリプス」に見るゼロ年代の想像力 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 2007-08-31
  • なぜ「涼宮ハルヒの憂鬱」はセカイ系なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「外部産出型」としてのセカイ系 「涼宮ハルヒの憂」の最終回を見たが、なかなかおもしろいかった。最終回の前半まで退屈が描かれ、突如クライマックスが訪れる。ボクは「涼宮ハルヒの憂」が「セカイ系」の構造があるといっていたが、最終回はまさにそのものの展開として終わった。 ボクは、「なぜ「デスノート」はセカイ系ではないのか」*1においてセカイ系を以下のように説明した。 ■セカイ系は、無理矢理にでもハルマゲドン(外部)を産出しようとする表現=「外部産出型」の系列にある。 ■外部産出型は、「内部/断絶(ファルス)/外部」の構造を持つ。社会(大きな内部)の閉塞感の中で断絶(ファルス)の存在が外部への道を開く。たとえば「デスノート」では断絶(ファルス)とはデスノートであり、外部とは死神界である。 ■「外部」とは、未知であり、なんの背景もなくただ不気味に殺戮にやってくる敵である。そしてこちらもなんのためら