2ちゃんねる創設者で実業家の西村博之氏(ひろゆき)が10日、ツイッターを更新。自称「少年革命家」のYouTuber・ゆたぼんが中学校への不登校を宣言したとする記事を引用し、ゆたぼんの親をブッタ斬りにした。 小学校を“自由登校”としてきたゆたぼんは、7日に投稿した動画で今年度から進学する中学校への不登校を宣言。ひろゆきはこれについて「登校が嫌なら通信制の中学校で教育を受けることは可能。子供に教育を受けさせる義務を放棄してる親には罰則が必要だと思います。教育の機会を捨てるのを是とする考えを広めるのは社会的に良くないしアホの再生産になります」と一刀両断。その上で、「子供は被害者なので責めるべきではないです」と、アホと断定しながらもゆたぼん自身を擁護した。 さらに「子供を学校に通わせないで、身の回りの出来事を学ぶことで生きる力を云々という頭の悪い親がいますが、身の回り生活からどうやって虚数の概念を
※育児放棄をする保護者を擁護する趣旨の記事ではありません。 また、痛ましい事件が起こってしまった。 この手の事件の主語はほとんどが母親だ。いつも父親の影は極めて薄い。 続報によると、この母親は飲食店の店員に「子供は預けた」と嘘を吐いて飲み歩いていたようだ。父親が当時どうしていたかは、私がこの記事を書いている時点では明らかにされていない。 私は車内に子供を置き去りにし、飲み歩く母親を擁護するつもりは毛頭ない。 ないが、この手の痛ましい事件の背景には、母親が親が「理由を問わず、気兼ねもせず、思いついたその時に子供を預けられる場所・人がない、いない」問題もあるように、私には思えてならない。 もっと欲を言えば、付け加えて「無料」であれば、言うことはない。 もっとも、そんな理想が叶ったからと言って、悲しい事件がゼロにはきっとならないだろう。 ならないだろうが、少なくはなるだろう。家で寂しく留守番をす
どうも、童貞です。 「童貞いじりがセクハラか」みたいなのも、だいぶ煮詰まってきた感じですね。 こちらの論がなんか決定版みたいな感じなんですかね。 「なぜ「童貞」を笑いのネタにしてはいけないのか?」 https://cakes.mu/posts/18894 童貞を低く見るのは、レイプカルチャーの結果だみたいな話でまあ正しい部分も多いだろうな、と童貞としても思います。 ただ、一方でこういう「レイプカルチャーの解消」だけでは童貞蔑視みたいなものを払拭できないだろうな、というのも感じています。 というのも、この話題の前に「ああ童貞蔑視だなあ」と感じたのはこのツイートを見た時だからです。 風俗やポルノやそれに関するいわゆる表現の自由戦士に思うこと。私は規制には反対だが、金を出して欲望を解消させろと固執するより、人を愛する心を養い、恋人と骨の髄まで愛し合う幸福を味わえるようになることが私たち日本人が精
社会の役に立ちたいという純粋な感覚と、国のために滅私奉公しようという感覚は思想的に頑然たる差がある。 それをきちんと区別できるのが現代日本人だよ。 社会主義じゃなく民主主義(≒個人主義・自由主義)の国なんだから、お国のためお家のため、という思想の強制は否定される。 個人個人が自分の幸福のために生きて、そういう生き方の集合体が結果として国や地方への貢献になるシステムになっていればよい。 だから全体としてそうなっていれば、個別に見れば失敗してしまう人や適合できない人が一定数でるのも計算のうちとして、手厚く保護してあげるべきで、そうすることで全員がのびのび生きられる。 適合できない人を排斥しようという考えに至る人は、自分を独裁国家の元首か何かと勘違いしているのでは?
はてなー、ねらー、ツイカス、なんでもいいけどネットにいるおまえらは どうせ小さい頃は神童と呼ばれていたタイプだろ で、中高あたりから没落して、親、先生、同級生、職場の上司、ありとあらゆる周りの人間から抑圧され虐げられ隅っこの方で小さくなって そして今、自分はコミュ力がないから底辺だ、自分は恋人がいないから底辺だ、自分はMARCHだから底辺だ、自分は年収500万円以下だから底辺だ、とか思ってるんだろうけど おまえらの「(リアルでは)聞き分けがいい」「外面がいい」「話が通じる」、このスキル持ってることはマジで誇っていい おまえら上を見すぎなんだよ この点に関しては、あんまピンと来ないだろうけどおまえらめっっちゃくちゃ上澄みだぞ。かなり上位層の人間だ。特殊能力持ちだ ある店が以前やっていた無料サービスをやめたとか、ある場所では受けられた親切がこちらでは受けられなかったとか、ある場所で特定の条件を
政治でも社会でも科学技術でも、なんであれ「自分の頭で考える」ことができるのは選ばれしエリートのみだ。 情報の真偽を確かめなくても、現象の論理的説明をしなくても、なんとなく世間の動向に流されるだけでも、なんとなく生きていける。 真っ当に文献調査をしなくても、テレビやまとめサイトが、雑な根拠によって力強く主張をしてくれる。その言葉を疑うはずがない。 まず疑うという発想がでてこない。テレビという権威が嘘をつくと考えるなど、よほど疑り深い者だ。 普通に生きていけば、自分の頭で考えるなどという疲れる生き方に至るはずがない。 考えることが楽しい、という者も少数派だ。友人とあたりさわりのない雑談をする方が楽しいのが普通。 リテラシーを獲得する経緯がある方が不自然だ。
Ubuntuの発音は当たり前だが、ウブンツだ。 正確にはウブントゥ(wikipediaより)だが。 これを私の上司はユブントゥと発音する。毎回だ。 こいつ以外全員がウブンツと発音しているのにもだ。 こいつは精神異常者なのだろうか。 そのせいで、私はこいつと会話するときはウブンツの発音するのを避け、代名詞により会話をしている。 なぜならば、私はウブンツと発音した直後にユブントゥと発音し直してくるからだ。 完全にキチガイである。狂ってる。 これが地味にかなりストレスになっている。 他には、客先の人間だが、ウベンツと発音しているキチガイもいる。 かわいそうなことに、そいつの部下はウベンツと発音していた。とほほ。 どうやったら「ベ」になるのか皆目検討がつかない。 なお、この2人に共通するのはかなり頑固で変わり者であるということだ。 ああ、生きるのがつらい。
新型出生前診断(以下、NIPT)とは胎児の染色体異常を推定する出生前検査の一種だ。採血だけで済むため流産の危険性がなく妊婦の負担も軽い。陰性の場合の的中率も高く、 妊娠10週頃から受けられる。 2021年3月、国が22年ぶりに方針を大きく転換した。これによってNIPTがより一般化するが、そこには「命の選別」が広がることへの倫理的懸念がある。 私は重度脳性麻痺者で、親に「お前さえ生まれてこなければ」と言われ続けて育った。私のような障害者にとって「命の選別」は、レトリックや思考実験などではなく厳然たるリアルだ。それは絶えず存在を蝕み続ける自己否定の感覚と直結したテーマである。 ◆ ◆ ◆ 「無認定施設」の横行、ネットの誤情報などが背景に 国の方針転換による変更点は主に2つ。 1つ目が国の関与と、要件の緩和だ。 これまで日本医学会が実施を認定する施設は実質的に大病院だった。今回それらの条件を撤廃
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
「わたしたちみんな、だまされているんじゃないかしら」とは、SF小説『時は乱れて』のセリフである。 本書の主人公はある日を境に、自分を取り巻く全ては紛いもので、家も、立場も、隣人すらも誰かに作られたものなのではないか、という果てのない疑念に苛まれることになる。 こうした考えはわりとポピュラーで、「自分以外はみんな宇宙人なのではないか」とか「この世界は実はバーチャル空間なのではないか」などという空想を、誰しも一度は経験したことがあるだろう。 とはいえ、あくまで空想は空想のはず、だった。まさか20代も後半になって、そんな空想が現実のものになろうとは——。 仕事の速い若手社員、「遠藤ひかり」 時をさかのぼること、2019年6月。 「フルリモートワーク」という耳慣れない就労形態でキャスターと業務委託契約を結ぶことになった私は、自宅のパソコンの前で胸を高鳴らせていた。 フルリモートワークはその名の通り
なぜ「オジサン」は「オジサン」構文と呼ばれる文章をメールで送ってしまうのか……。「オジサン」構文がもたらす嫌悪感の正体とは……。将来誰かを嫌な気持ちにさせる文章を書かないように、つまり「オジサン」構文を送りつけてしまう「オジサン」にならないように、今のうちから考え、備えておこうという回。 ◇放送内で出てきたキーワード喋りの文章化/絵文字/読点の多さ/ブレス/感覚ベースのアップデート/キメラ/その人自身の問題/卑しさ/性欲の見え隠れ/ウケ狙い/ユーモア/受容しきれてない自己イメージ/内田樹/ジェネラライズ/デコードのされ方 ◇配信後記各人が収録後に思い出した「言い忘れ」「気づき」をこちらにまとめています。
何日か前の夜こと、最近話題になっていて気になっていた『チェンソーマン』を読んでみようと思った。1巻を買ったつもりが最終巻の11巻を買ってしまい、もういいやと思いキンドルで全巻いっきに買って、朝まで一息で読んでしまった。思春期の男の子の年上の女性への幻想を極大展開して、そこにバトル漫画的な要素をひたすら突っ込んでいくところは『フリクリ』に通じるものがある。こういうのは「君と僕」の同期が世界の変革に短絡するセカイ系に対して何と呼べばいいんだろう。精通系と思い浮かんだが即座に頭から追い払った。ともあれ一方でいや増す性的な欲望の、他方でその対象が結局どういうものなのかわからないというわからなさを覆い隠し脱性化する幻想もまた肥大化するという循環があって、最終的に後者が勝らなければならないという少年漫画的なコードがある。しかしそれは「お約束」に留まるものでもなく現実の少年が生きるものを反映してもいるは
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く