セミ・ラティス semi-lattice 日本語では「半束」。集合論の言葉。 半順序集合(partially ordered set)のうち、任意の2要素x1,x2を持ってきたとき、その上限x1∧x2が存在するもの、またはその下限x1∨x2が存在するもの。 また、代数構造的に言うなら、結合律(x∧(y∧z)=(x∧y)∧z)が成り立ち、ベキ等性を持つ(x∧x=x)可換な(x∧y=y∧x)二項関係(のはず)。 <ツリー>と<セミラティス>というのは、集合論による区別で、ひとつの集合のなかに下位の諸集合がそれぞれのレヴェルできれいに階層をなして組織された集合を<ツリー>集合というのに対して、一つの集合の構成要素が幾つもの下位集合に包含され、集合の包含関係が入り組み絡み合った集合です。 http://www.nulptyx.com/pub_toshi.html 都市構造に関する人文系の論壇でセミ
社会派バンド。 メンバーは 田中(ギターボーカル) くそネジ(ギター) 田中(ベース) 超新星β(ドラム) 作詞作曲は田中(ギターボーカル)を中心にメンバー全員で行われる。 田中はギターのコードの名前を知らない(知らなかった)のにもかかわらず、数多くの曲を作曲してきている。 開放弦を多用したと思われる鋭角的な独特のコードとキャッチーなメロディが特徴で、 そして他のメンバーの確かな演奏力により見事に完成されている。 また、曲のタイトルからも予想できるように歌詞の内容もかなり独特であり、それが魅力であり、深い。 2005年あたりまでは活動していたが、現在は「解散中」。 およそ半年に1回のペースで再結成のライブを行い、即解散している。 18回目解散ライブでは会場の吉祥寺SILVER ELEPHANTのフロア(B1F)に人が入りきらず入口付近で観る客も多数いた。 "さよなら三郎"と題打った下北沢B
自分自身も加わっているが、先日こんな話題があった。 ブギーポップソシャゲへの要望まとめ - Togetter ここではやはりソシャゲらしく、各キャラのレアリティについての話が中心になっている。こういうことを考える(妄想する)のは、ファンとしてたしかに楽しい。他にも、 【上遠野作品5連ガチャ】 既にこういうものもあり、完全に後追いになってはしまうが、一応自分でも各キャラのレアリティを考えてみたいと思う。ブギーポップとそのスピンオフ(『ビートのディシプリン』『ヴァルプルギスの後悔』『螺旋のエンペロイダー』)が中心だが、せっかくなので例によって世界観を共有する他の上遠野浩平作品からも思いついたキャラは入れていく。 レアリティの構成については、ソーシャルゲームで一般的な形の一つと思われる、N、HN、R、SR、SSRの5段階を採用した。基準は、作中での設定上の強さと、登場人物としての“格”、人気、個
2005 | 02 | 03 | 04 | 2006 | 01 | 11 | 2007 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 11 | 12 | 2008 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 2009 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 09 | 10 | 11 | 12 | 2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 08 | 11 |
数日前、米澤穂信の青春ミステリ小説「古典部シリーズ」の第一作、『氷菓』の実写映画版のメインキャストが発表されました。 山崎賢人と広瀬アリスのW主演で「氷菓」実写化 - 映画ナタリー 実写化自体は以前から告知されていましたが、やはり「顔」となる俳優は多くの人が気になるらしく、ツイッターなどではこの話題で盛り上がっているようです。 その中には、えるたそ/ホータローはこんなのじゃない!なんでもかんでも安易に実写化するな!といった、まあ、実写化(に限らず他メディアへの展開)にはつきものな反応も当然あるのですが、それに対して、 「氷菓(古典部シリーズ)はアニメ原作ではないし、原作小説は元々ラノベではなく(イラストのない)一般文芸なのだから、二次元・オタクコンテンツの実写化のような騒ぎ方をするのはおかしい*1」 というような苦言?がちらほら見られました。 氷菓 ラノベ -rtに関するツイート なるほど
先日、長年愛用したガラケーに別れを告げ、遂にスマホに移行してしまいました。 これで、今度はどのサイトが「フィーチャーフォン」対応を打ち切るのかと怯える日々にはおさらばだ!スマホ is サイコー! と、なるかと思いきやそうでもなく。文字のコピペが死ぬほどやり辛いし、このフリック入力とかいう代物に慣れる日がいつか来るとは到底思えないし、ボタンひとつないスマホ版はてダ編集画面のあまりの“シンプルさ”に唖然としたし、いいことばかりではありません。早くもガラケーに懐かしさを感じているところです。 それはともかく。 せっかくスマホにしたのだからと、ツイッターのアンケート機能を使って、以前から気になっていたこんな質問をしてみました。 ライトノベル系の新人賞に投稿して落選した経験のある方への質問です。「カテゴリーエラー」(現在のラノベ業界の傾向からの逸脱、「ラノベじゃない」こと)を理由に落選した(と思った
如月真弘(@mahirokisaragi) - カクヨム 如月真弘 「山本五十子の決断」書籍化に向けた作業開始のご報告|如月真弘の活動報告 ここ数日ツイッター上で、「山本五十子の決断」で第1回カクヨムWeb小説コンテスト特別賞(推薦:ファンタジア文庫編集部)を受賞し、同作の書籍化が決定したライトノベル作家如月真弘氏によるわたしへの言及をたびたび目にしました。なかなか興味深い内容だったので、個人的なメモとしてここにそれらをまとめておこうと思います。なお、自分のツイログから引っ張ってきているので並びは自分がRTした順になっています。 以上です。 自分ひとりが個人的に勝手にたとえ間違った批判であっても一切反論せず「謙虚に受け止め」るのは自由だけど、まだ実際に本を出してもいない作家が「私を含め業界側」を代表して発言してしまうのはどうなんだろう……とか。 「向こうはRTからのエアリプ中傷以外に攻撃手
傷ついた制御コンピュータ。 と、あっさり答えが出てしまったところで、いつもながらの「最近のラノベ」話です。 相変わらずインターネット上、特に自分の主な探索範囲であるツイッターでは、ハーレムしかないしTUEEEばっかりだし異世界は禁止wwwwwwwwwwなどの「(最近の)ラノベ」をボコボコに批判する声が後を絶たないわけですが、こういった発言を延々見つめ続けていると時々、憤りとは別にこんな疑問が湧いてきます。 「(最近の)ラノベを批判しているのは、いったいどういう人々なんだろう?そこには何か共通点や傾向があるのだろうか?」 これまでは気にはなってもそのまま忘れてしまっていたこの問いですが、先日も胸の中で何度目かの膨張(勃起と言い換えてもいい)を始めたため、いい加減この機会にちょっとだけ具体的に調べてみることにしました。 期間は6月22日から28日の一週間。この間に自分の観測範囲(「最近のラノベ
風の噂によれば。 「ブギーポップが流行っていた頃のラノベというパッケージはちょっとかっこよかったが、最近のラノベはそんなものを読んでいたらコンプレックスも募るし異性にも笑われるぐらいかっこ悪い悪書」 であるらしい。 (^-^) それはともかく。 今月の10日に、ブギーポップシリーズ最新作であり、記念すべき20作目となる『ブギーポップ・アンチテーゼ オルタナティヴ・エゴの乱逆』が刊行されました。せっかくなのでこの機会にブギーポップの「ちょっとかっこいいパッケージ」*1の歴史を振り返ってみることにしましょう。 重大なネタバレはなるべく避けるぐらいの配慮はしますが、たぶんときどき未読者の存在を忘れてる程度には内輪向けの文章です。すいません。 めんどくさいので、内容紹介は公式の(あまり説明になってない)ものをそのまま引用させてもらいます。すいません。 絵やデザインについては全くの無知なので、トンマ
“警察”、というものがある。 いや、もちろん現実に治安維持活動を行っている行政機関のことではなく。 主にフィクションにおけるある特定要素の描写に対し、その分野についての深い造詣を駆使して現実と照らし合わせた上で差異の指摘を行う人々、あるいは指摘行為自体の総称としての「××警察」のことだ。一般的には、「弓道警察」「吹奏楽警察」などが知られている。らしい。 弓道警察 (きゅうどうけいさつ)とは【ピクシブ百科事典】 弓道警察という呼称はレッテル貼りの為の非実在組織です。 弓道経験者への謂れのない罵倒に使われたため、現在では言葉に出すことも憚られるほどになってしまっています。 この言葉は冗談でも誰かに向かって使わないよう注意しましょう。 とのことなので、気をつけよう。 さて、この“警察”の一つに、「ファンタジー警察」の一分派としてではあるが、「ジャガトマ警察」というものが存在している。これの“管轄
おはパンツァー(挨拶)こんにちキャバ(挨拶) 年が変わるまでもう時間も残り少ないので、さっそく本題に入らせていただきます。 特定の人物や作品とは無関係な、あくまで一般論としての話ですが。 2015年の締めくくりとなるこのひと月ほどの間、どういうわけかツイッターなどではある傾向を持った発言が目立ちました。それは、 「Cは最近のラノベアニメに珍しい硬派で一途で王道の良作。それに引きかえ、設定だけは似ていても*は単なるテンプレ学園TUEEEハーレム」 「面白い方の*がC」 「Nはキャラが巨乳でメスの顔をしてるので実質ポルノ。Gは貧乳だしパンチラも禁止で至って健全。普通の人間が見ればすぐに分かる。水着ポスターも全く問題ない。ケツの割れ目はただのリアル。あの絵では絶対にシコれない」 「アニメと地域のタイアップとして、Oは最高の成功例。Kとか別のKとかMとかみたいに出来が微妙なアニメと組んでしまったと
ツイッターで延々呟いてたものをまとめました。 「ライトノベルにまつわる定義論争は(略)子どものケンカに近いものがある」でおなじみ、 http://fum2.jp/4252/ と比較するために、大橋崇行『ライトノベルから見た少女/少年小説史』読みました。結論を言うと、あの記事にはさほど大きな誤読はないらしい、ということが分かった。 現在の(いわゆる)ライトノベルに見られるいくつかの要素は戦前から存在する少女/少年小説に既に現れており、それらが様々な形で引き継がれているのだ、といった話には素直に、ほうほうなるほどと頷けるのだけど、そこで、故にこれまでのラノベ史観には根本的な誤りがあった、となるのがどうにも。 とりあえず少年小説と少年向けラノベについてはこの本でも、少なくとも小説という形では一度大きな断絶があり、少年小説の後釜としての少年漫画を介した間接的な形での影響関係であるとしているのだから
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く