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ブックマーク / tashin.hatenadiary.org (3)

  • 主観と客観と - with the Uncertainty Principle

    しばらく前に下書きして、何か直そうと思っていたのだけど、どう直そうと思ったのか全く憶えていない。(^^; facebookにRSS Graffitiを入れて、このはてながフィードされるようにしてみたので、テストも兼ねてこの練りの足りない文章をさらけ出してしまおうというわけ。 そういえば、先日友人と話していて、この客観の質問をしたら、久しぶりに「ある程度は主観が入り込んだもの」という意見をもらった。なかなかその意見には出会えないだけに、貴重な友人を得たと感じた瞬間である。時と場と、そして仲立ちしてくれた最高の人に感謝。 以前、d:id:tashin:20100131にて 客観は主観のフィルターを通した主観的客観である、という哲学的命題(?)が気になることになった。 と書いていたのだが、最近知り得たところで、新たな発見があったので書いておく。ま、当たり前のことだし、知っているよ、という人にとっ

    主観と客観と - with the Uncertainty Principle
  • 文系と理系の表現力の差 - with the Uncertainty Principle

    木曜日に文系修士一年という方とお話ししていて思ったこと。 話していた内容の筋は、文系は「調査」を元に結論を組み立てることになるが、理系は「結果」が出てしまう。つまり、理系では結論は「結果」から導かれるもので、「調査」のあと自ら組み立てた論理を展開するものではない、てな感じ。無論、社会科学では心理評価などのあとに統計的にデータを整理して「結果」を得るのだろうから、全てがこの話に繋がるかどうかは各論として問題があるが、まずは、一度話を汎化させて。 然るに「調査」から組み立てる結論には爬行性があり、故に若干曖昧にもできる。実験から得られる「結果」には曖昧さは含まれず、従って結論に爬行性を持たせることは困難となる。 修士課程(博士前期課程)では、修士論文を書き上げるわけだが、結論を得る際にこの爬行性に伴う曖昧さが、表現力の成長に差を生む要因となってしまうのではないか、という話をした。 論文を書くと

    文系と理系の表現力の差 - with the Uncertainty Principle
  • 「書く」ということ - with the Uncertainty Principle

    とにかく、簡単ではない。 というより、とても難儀なことだ。 誤りも残る。 音声言語は、空気を振動させ、鼓膜を振動させ、神経伝達を経て、言語野でシンボルとマッチングを取り(きっとフィードバックもあり)、“コトバ”として意味が伝わる。 そこには、言い直しもあり、抑揚もあり、更には身振り手振りもあり、つまりは、修正OK、補完情報OK、な世界観な訳。 受け取る側からすれば、こんなに修正や補完がなされる伝達手段は何と平易なことか。書かれた物から同じだけの情報を得るのは、難儀なことだ。 ってことは、如何に「書く」ことが難しいのか、想像に難くない。 なんだ、言ノ葉というのは、左様に舞うから、いや舞うことが宿命付けられたものだからこそ、平易なのかもしれない。使いやすくなければ、使えない。 だからこそ、「書く」ことは難しいのだろう。 ヒトは文字言語を使い始めるよりも、ずっと前から音声言語を使っているという。

    「書く」ということ - with the Uncertainty Principle
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