ヨハン・クライフが、長く苦しんだバルセロナのサポーターにプライドを取り戻させるまで、そう長くはかからなかった。このクラブでのデビューは1973年10月28日のことだった。4-0で勝ったこのグラナダ戦で、クライフは2度ゴールネットを揺らしている。だが、レアル・マドリーを凌駕するためにどれほど大きなインパクトを持つことになるか、この時は誰も予測できなかった。 当時のアヤックス会長、ヤープ・ファン・プラーフは、このオランダ人選手をサンティアゴ・ベルナベウへ売ろうとした。だが、クライフはバルセロナ行きを選んだ。そして、クラブとサッカーの歴史は、良い方向へと動き始めた。 クライフ加入の1年目、バルセロナはリーガでの無冠の時間を14シーズンで終えることに成功した。これもまだ、ほんのあいさつ程度に過ぎなかった。11番までしかつけられないという当時のリーガの規則により代名詞の背番号14をつけられなかったク