呉海軍工廠で最終艤装中の戦艦大和。(1941年9月20日)。画面中央やや上に三番砲塔越しに見えるのが間宮。画面右端は鳳翔。 間宮(まみや)は、日本海軍の給糧艦(運送艦)[9]。 その艦名は、樺太の間宮海峡から採られた[10]。 給糧艦とは艦艇に食糧を供給する補給艦のことである[11]。 概要[編集] 八八艦隊計画内で能登呂型給油艦の1艦として予算が成立したが、海軍の強い要望で連合艦隊随伴用の給糧艦が1隻、その予算で建造された[12]。それが間宮である。船体は商船構造とし、設計は川崎造船所に委託。設計は同社がかつて手がけた大阪商船の北米航路向け貨客船はわい丸(大阪商船[注 1]、9,467トン)の設計を手直ししたものであり、就役当時の間宮は世界最大の給糧艦であった。1924年(大正13年)7月15日に竣工後、戦時、平時問わず日本海軍の補給の要として活動した[13]。太平洋戦争終盤の1944年