ブックマーク / www.honsagashi.net (2)

  • 『サマーウォーズ』を批評すること:好き嫌いを書くことの意味/「今を生きていることの手ごたえ」と「未来に向かって理想を追うこと」

    映画評というものは好き嫌いだけを書けばいいというものではないし好き嫌いだけが書いてあっても読んでいて面白いものではないけれども、その評がその映画を好きな人が書いているのかそうでもない人が書いているのかということはかなり重要な情報ではある。好きだからこそ批判しているということが分かれば読みようもあるし、嫌いだけど一生懸命ほめているならそれもまたそういうものかと思える。まあそれは立場を明らかにするということで、そういう立場から見たらこう見えるのかということは自分とは違う見方を発見することであり、映画を見る見方が広がるとともにもっと大きなものの見方にもつながっていくことだ。もちろんそれは映画に対する評だけでなく、書評やマンガ評、ないしは政治に対する評価でも同じことだ。 逆に言えば好き嫌いという立場を表明することはその立場に立つ自分というものを引き受けるわけであり、特に「みんな=多くの人」が好きだ

    shinbay
    shinbay 2012/07/24
  • 細田守監督作品『サマーウォーズ』を観た:宮崎駿と細田守と大家族と電脳と

    【細田守監督作品『サマーウォーズ』を観た:宮崎駿と細田守と大家族と電脳と】 金曜日にテレビ放映していたものを録画してあった細田守監督作品『サマーウォーズ』を昨夜、『平清盛』を観終わってひと段落ついてから見た。ある意味単純に面白く見たのだけど、どうも何かいろいろな思いが残り、とてもいろいろなこと、特に今まで見てきた最近のアニメとの相関関係などをいろいろ考えさせられる作品だった。 一番感じたのは宮崎駿監督との関係で、こういうアニメ、こういう才能をどう扱うべきなのか、ということだった。宮崎駿がジブリに入社を希望する細田に、「うちに来たら君の才能を潰してしまう」とわざわざ手紙を書いて入社を断ったという話をネットのどこかで読んだのだが、それはよくわかる、と思った。この作品を観終わってみて、細田はやはりとんでもない才能の持ち主だと思うが、宮崎の志向とは大きく相反するものを持っていると思ったからだ。 最

    shinbay
    shinbay 2012/07/23
  • 1