近世ベトナムの公式歴史書において中国と戦った民族の英雄ながら唯一、その胸の巨大さについても言及されている女性がいます。19世紀、ベトナム皇帝でさえもその理由が分からずに困惑したという歴史書の記述です。 なぜ彼女の胸の大きさは公式の歴史書に記述されたのか、そこにはどんな理由があったと考えられるのか。ベトナムの歴史書、中国の歴史書の原文における記述を探し出し、古代・中世・近世とその記述の変遷を調べることで、中越関係における英雄の実像と真相について探ってみました。 1. 三国志にも出てくるベトナムでの反乱以前の記事で取り上げた様に古代ベトナムでは、最初の女性英雄、徴姉妹(ハイ・バ・チュン)が反乱を起こしたものの、馬援によって平定されてしまい、再び中国漢王朝(後漢)の支配下となります。 そして後漢末、交州と呼ばれたベトナム北部は、士燮(ししょう)と呼ばれる人物が漢王朝の交阯太守として統治しており、