前回記事の最後に、不肖筆者は〈「ネット右翼誕生前夜=Dawn of the Online right-wingers」の胎動を書き示す〉と予告をしてしまったが、これを撤回したい。本格始動を行う前に今一度、読者諸賢と共有しておくべき前提条件が他にもありすぎると感じたからだ。 大変申し訳ないが、本格的にネット右翼史に入るまでに、ネット右翼に関する基礎的な了解事項をもう少しだけ整理しておこう。 「ネット右翼=社会的底辺層」説の嘘 ネット右翼が勃興し始めた2002年から、今年2017年で15年の区切りとなることを奇貨としてスタートした本連載だが、この間、現在に至るまで都市伝説的に信仰されている「ネット右翼=社会的底辺層」説を今一度点検し、これを否定しておこう。 「ネットで差別的な言動を取るネット右翼の正体は、無知文盲の低学歴・低収入の貧困層である」という風説は、未だにちらほらと噴出してくる。これは
稲田大臣の辞任を思い出す すでに二代前の防衛相の話になるが、外務大臣との兼務を一週間こなした岸田文雄氏、二回目の防衛相就任となった小野寺五典氏と比して、あまりに低評価だった稲田朋美防衛相が内閣改造の一週間前に辞任したのは、南スーダンPKOに派遣した自衛隊員の日報隠ぺい問題の不手際の責任をとってのことだった。 稲田元大臣が残した負の遺産は大きい。その最たるものは、日本のPKOへの貢献に対するマイナス効果だろう。 もともと自衛隊の南スーダンからの撤収は、これまでのPKO派遣とは違い、国連ミッションが終了する前に一方的に撤収を図るという点で、初めての出来事だった。現代の国連PKOに日本が参加することの難しさが露呈した事件であった。 撤収が発表された3月11日、私は次のようにブログに書いた。 「これまで自衛隊の撤退を要求する人々は、常に抽象的かつ非現実的な言い方で、自衛隊ではない平和への貢献の仕方
書店ゼロの自治体、2割強に 人口減・ネット書店成長... 書店が地域に1店舗もない「書店ゼロ自治体」が増えている。出版取り次ぎ大手によると、香川を除く全国46都道府県で420の自治体・行政区にのぼり、全国の自治体・行政区(1896)の2割強を占める。「文化拠点の衰退」と危惧する声も強い。 トーハン(東京)の7月現在のまとめによると、ゼロ自治体が多いのは北海道(58)、長野(41)、福島(28)、沖縄(20)、奈良(19)、熊本(18)の順。ほとんどは町村だが、北海道赤平市、同歌志内(うたしない)市、茨城県つくばみらい市、徳島県三好市、熊本県合志(こうし)市、宮崎県串間市、鹿児島県垂水(たるみず)市など7市や、堺市美原区、広島市の東・安芸両区の3行政区もゼロだ。 出版取り次ぎ大手・日本出版販売(東京)の別の統計では「書店ゼロ自治体」は4年前より1割増えた。 全国の書店数は1万2526店で、2
敗戦とともに崩壊した「満州国」では、地獄絵図としか表現しようのないほど、飢えと暴力、そして絶望が蔓延した。孤立無援の満洲開拓団は次々と、集団自決に追い込まれていった。 そのとき、ある開拓団の男たちは、ひとつの決断を下した。現地の暴民による襲撃、ソ連兵による強姦や略奪から集団を守り、食料を分け与えてもらう代わりに、ソ連軍将校らに結婚前の乙女たちを「性接待役」として差し出したのだ。 犠牲となった「彼女たち」は、日本への引き揚げ後もこの忌まわしい記憶をずっと胸の内にとどめていたが、70年が経ち、その重い口を開いた――。ノンフィクション作家・平井美帆氏の特別寄稿。 託された詩 忘れられない詩がある。後半のカタストロフィーと対比を成すかのように、詩は明るい朗らかな一節からはじまる。 ≪十六才の 春の日に 乙女の夢を 乗せた汽車 胸弾ませて 行く大地 陶頼昭に 花と咲く≫ 「乙女の碑」と題された詩を書
「近畿の水がめ」として知られる滋賀県・琵琶湖の外来魚を駆除するため、1日から始まった環境事業「琵琶湖の水ぜんぶ抜く」プロジェクトで、22日、全体の98%まで抜き取り作業が完了した。 ブルーギルやブラックバスなど外来魚による生態系の破壊に頭を悩ませてきた滋賀県では、外来魚のキャッチ・アンド・リリースを条例で禁止するなど、長年対策に取り組んできた。しかし実際には外来魚の撲滅から程遠く、県は14年、いったん琵琶湖の水を全部抜き、外来魚を駆除した後、再び水を入れ直す環境事業「琵琶湖の水ぜんぶ抜く」の検討に入り、環境省と協議してきた。 総事業費は県収入100年分に相当する約60兆円に上るとの試算が出たほか、実施中は県内のほぼ全域で断水になったり、豪華客船「ミシガン」「ビアンカ」「うみのこ」が休航したりするなど、県経済への影響は計り知れないが、「外来魚と共存するくらいなら死んだほうがまし」という県民の
突然だが、あなたはどうやってセックスのやり方を学んだだろう? 日本では、男性はアダルトビデオ(以下AV)から、女性はパートナーから、というケースが多いという。 つまり、男性も女性も、セックスの教科書はAVということになる。しかしAVは実際のセックスとは異なり、商品としての演出が盛り込まれたファンタジーだ。それを鵜呑みにしていては、男性も女性もセックスを勘違いしたまま、間違いを正す機会を失ってしまう。
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