以下は、太郎丸博・栗田朋香・根本千裕, 2024, 「アカデミック・ハラスメントにおける不快感の促進要因」数理社会学会第76回大会(於 大阪大学)の報告資料。 報告要旨 スライド 報告書用原稿(未完成) Tweet
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モーニング島田編集長『「あきらめなければ夢は必ずかなう」ほど悪質な言説はない』というつぶやきに対する漫画家さんたちの反応が盛り上がっていて面白く読んだのだが、私自身も研究者を目指す大学院生にどう対応するかというところで類似の問題に直面するので、少し私自身の考えを整理しておこう。「あきらめなければ夢は必ずかなう」という命題が常に真かと言われれば、島田編集長の主張する通りあきらめなくても夢がかなわなかった人はいるので、真とは言えない。しかし、もう少し確率的に解釈しなおして、 あきらめた人よりもあきらめなかった人のほうが夢がかなう確率は高い と考えるならば、これはほぼ間違いなく正しいだろう。才能がどうとかいうのは、「死ぬほど努力した後にしろ」といわれることがあるのはもっともであるし、死ぬほど努力できないのならば、それはもともと「夢」というほどのものではなかったのだろう。 しかし、夢がかなう確率は
Takehiko Kariya, 2010, "From Credential Society to ``Learning Capital'' Society: A Rearticulation of Class Formation in Japanese Education and Society," Hiroshi Ishida and David H. Slater (ed.) Social Class in Contemporary Japan: Structures, Sorting and Strategies, Routledge, 87-113. 日本は学歴社会から「学習資本」社会へと再編され、そのせいで階級間格差も拡大した、という Kariya の信念を表明したエッセイ。学歴社会では労働者の訓練可能性 (trainability) が重要視されたが、臨教審の答申における個
阪口君と宮田さんに協力してもらって、ソシオロジと社会学評論の内容分析をしました。とりあえず報告書レベルの原稿ですが、公開します。pdfファイルなので、関心のある方は このリンク をたどってください。 Tweet
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