この本は一言で言うと「カルチュラル・スタディーの教祖」による自己批判の書だと思う。 要するに彼女はこの本の中でこう語っているのだ。われわれはこれまで「サバルタンの立場で語ることは可能か」とかいろいろ言ってきたけど、結局は英米の大都市のサロン的な雰囲気のもとでの高尚な文学談義の域を一歩も出ていなくて、第三世界の言語を習得してそのテクストを発掘しようとしたり、そのフィールドに足を踏み入れて人々の「語り」にじかに耳を傾けたり、といったことをほとんどしてきてこなかった。だから結局のところこれまで自分たちの仲間うち以外では通じないような小難しい議論を展開することしかできなかったんじゃないか。そういう意味では、アメリカの覇権主義と資本主義の尖兵でしかなかったかもしれないけど、しっかり現地言語を学んでフィールドに足を運び、せっせと「厳密な」学問的成果を発表してきた地域研究の「勤勉さ」を見習うべきなんじゃ