もう4日のことになりますが、元稚内市長浜森辰雄さんが逝去されました。93歳。1959年から91年までの8期32年。道内市長の最長記録を今ももっています。キタが新米記者として稚内にいた72~75年はまさに浜森さんの全盛期。部下が震え上がるほどのワンマンながら、気配りも大変なものでした。キタの長男が生まれたときにいただいたアルバムの表紙を開くと、「しろがねも黄金も玉もなにせむにまされる宝子にしかめやも」の山上憶良の歌をしたためた浜森さんの直筆祝詞があります。 浜森さんとの因縁はその後市長最後の年91年に続きます。 浜森さんが9選出馬を目指す91年の選挙を前に、キタが駐在記者をしていたソウルにこられた時のことです。ソウルへの用向きは、韓国の赤十字社から感謝状を受け取るためでした。1983年にサハリン沖上空で起きた大韓航空撃墜事件で、稚内周辺に漂着した遺体や遺品の捜索、墜落現場近くまでの慰霊船派遣
今回、地元稚内に帰っていたんですが、トンボ帰り。札幌に向かってます。 でも、稚内の観光名所に改めて行けたんです。 いつ以来だろうな。 たくさん素敵なところを見つけました。 見つけられてないだけだ、探せてないだけだったんだなあと。 一度離れてみると、ありがたさや大切さ、見えかたも変わるね。 10月は、ちょっといつもと違う場所。学校でライブをさせてもらいます!(^-^)v何を話そうか♪ ●10月8日に稚内中学校で授業の一環ライブ♪ ●10月19日に稚内北星学園大学の大学祭の講堂でライブ♪ 一般公開(14:00~) 北星学園学生(18:00~) 今からどちらも楽しみです!o(^o^)o *写真は稚内で食べた、デカバーガー。 ますじ
特集 2006.07.03 取締役全員がニューハーフ!? 「ニューゲージ」社長に聞くニューハーフ・ブランド論 ■きっかけは、北海道でのラーメン店時代のケータイ絵文字 如月音流さんの第一印象は、スレンダーで聡明な美しい「女性」。彼女が「ニューハーフ」であると知って驚く人は多いだろう。「電脳ビジュアル系ニューハーフ」を自称するIT社長・如月さんの、現在に至るまでの経緯を聞いてみた。 如月さんはつい数年前まで、地元・北海道で実家の経営するラーメン店を手伝っていた。その「ITの申し子」ぶりは既に当時から発揮されていたようだ。この頃、如月さんが夢中になっていたのが、アスキーアートで携帯メールの絵文字を作ること。仕事の合間を縫っては絵文字を作り、友達に送っていた。しかし、これが友人の間で予想以上に好評だったことから、今度は絵文字がダウンロードできるケータイサイトを作り、メールマガジンを発行するようにな
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