令和2年12月6日をもちまして閉店いたしました。27年間お世話になり、ありがとうございました。 本ホームページは、27年間の活動メモリアルとしてしばらくの間、公開します。
亡兄naoyaiの死から一年が経った。 GWの入り口で倒れ、真っ只中の5月4日に世を去った兄。 普通の人なら楽しく旅行でもするであろうこの時期が、私にとって屈託のない心浮き立つものになることは、もうないのかも知れない。 一周忌の記念礼拝に参列するため故郷へと向かう途上、私の中に「兄自身はもう苦しくないし、悲しんでもいないだろう」という思いが浮かんだ。兄自身は苦痛のない場所へ行き、今はただ、残された人間の悲しみがあるだけなのだと。全て根拠のない事なのだけれど、その時はそう信じた。その時私の心は安らかだった。 ところがいざ一連のセレモニーを迎えた時、突然私を襲ったのは猛烈なわだかまりだった。 悔しい、悔しい、悔しい、悔しい。 こんなのは茶番だ、どうしてこんな風にして私達は兄を悼まなければならない?どうして欠席裁判みたいに、兄のいない場所で兄の功績を顕彰しなければならない?兄は生きてここにいるべ
■[私感][twitter]友人 naoyai の一周忌 優れたエンジニアであり、私と私の夫の友人である naoyai が亡くなってから1年が経過した。カレンダーを見ながら、夫と「そろそろ1年かねえ」と言っていたのだけど、naoyai のお兄さんである shinyaiさんのブログによれば、彼の実家で礼拝が行われたようである。 彼が死んで1年経つが、未だに flickr、mixi、messenger、feed、様々な彼のアカウントを消すことなく保持している。更新されるはずもないのだが。そして夫はサービス開始当初の twitter を彼に紹介していることもあり、follow しあっている(今みたら最後のコメントは 1years ago,「ねむいなあ」なんか象徴的だ)。 naoyai の一周忌を迎え、あらためて書いておきたいことがある。 生きてしまっている私にできることと言えば、naoyai に
今年ももうすぐ終わる。 今度の年末年始も実家で過ごす。去年までなら兄妹4人+配偶者が集まって大騒ぎしたところだけれど、今年は就職したての妹が勤務地から動けないし、次兄に至ってはこの世にいない。長兄は帰るのだろうけれど、今までより静かなお正月になりそうだ。 ここ数日、冬の寒さのせいなのか、しんどい記憶が繰り返し戻ってきて困る。仕事中、電車の中、眠りにつく前。時と場所を選ばずに、動くのも億劫になるような苦痛が襲ってくる。 冬は鬱人口も増えるって言うしね、と人ごとのように考えて毎日をやり過ごしながら、何となく快方に向かうのを待つ。だらだらと悲劇的な気分に浸るのは好かない。 我が子を喪った親たちの心の軌跡を追ったルポを読んでいる。 いつかは平穏な日々を送れる時が来る、でも子どもを亡くす以前と同じ地点には永遠に戻れない。やり過ごすことが上手になったとしても、大きな空洞が埋まることは決してない。死別か
ドリカム吉田美和さんのご主人の急死には、本当に驚いた。33歳。 Excite エキサイト : 芸能ニュース ご主人を襲った「胚細胞腫瘍」という病気について調べてみると、どうも兄の病と符合する部分があるように思えてならない。 【胚細胞腫瘍についての解説】 http://www.dokkyomed.ac.jp/dep-k/ped_surg/texts/T_gct.htm http://square.umin.ac.jp/neuroinf/medical/207.html この腫瘍が好発する部位は、脳内では松果体、下垂体、視床下部等らしく、兄の腫瘍は小脳だったので、場所は少し違う(胚細胞腫瘍が小脳に出来る事は稀らしい)。しかし頭痛、水頭症、意識障害など、症状はかなりの部分で共通性がある(同じ脳腫瘍だから当たり前か?)。専門に扱っている医師でないと、診断するのは難しい病気だそうだ。 兄の場合にも、
金曜の朝に帰郷し、土曜の午後に次兄naoyaiの骨を真新しい墓に埋葬し、日曜(今日)の夜に戻ってきた。 埋骨を翌日に控えた9/7の深夜、酒を飲みながら内容のないダベりに興じる長兄、私、妹の会話を長兄がアップしている。↓ 2007/09/08 ICHINOHE Blog:[italk]Midnight Talk in Hirosaki 1 両親の寝室のすぐ脇のダイニングで喋っていたため、就寝中の父が眠りを邪魔されて、時々うなったり布団の中でもがいたり(津軽弁で「からもぐ(=殻もぐ だろう、多分)」という)していた。しかしそれをネタにさらに盛り上がるバカ兄妹。 本当にくっだらないことしか喋っていない。私達のいつもの感じだ。 次兄のズバッと断定的に切り込んでくるスパイスは今や介在しないが、それでも方言丸出しのグダグダした兄妹の語らいの楽しみは尽きない。 ↑の会話の中で時々割り込んでくる母の声と私
クリスチャンの家に生まれたために仏教行事と縁が薄かったから、お盆というものが何日から何日までで、それぞれの日に何をするのかを私はよく知らない。 ニュースで長崎の精霊流しの映像を流していたところを見ると、8/15はお盆に帰ってきていた先祖の霊を、再び彼岸に送り出す日だったらしい。 精霊流しが、初盆を迎えた故人のための祭事だというのも、そのニュースで初めて知った。なるほど、だから「♪去年のあなたの思い出が…」となるのか。 日本の慣習に従うなら、今年は兄の初盆だった。 何の実感もない。兄は今でも赤坂で元気に働いているんじゃないか? そうだったらどんなに良いだろう。 兄の魂は戻ってきていたのか。魂は存在するのか。そんな不確かなことなどどうでも良い。ただ義姉や両親に慰めを与えて欲しい。 重苦しい、暑い暑い一人の休日、抑鬱が目覚めそうになる。「故人の分まで一生懸命生きないと」なんて言葉は何の役にも立た
街を歩いていて、長いカーリーヘアーの男とすれ違う。思わず顔を覗き込む。もちろん知らない人。分かりきったことを確認しては、いつもの疲労感に襲われる。 ついこの前まで、この人や他の誰彼と同じく生きていた人間が、今は骨になっている。小さな箱一つに納められている。その他に、目に見える実体は全くない。 友人に最近の心境を話し、色々と言葉をかけてもらって、何となく気づいた。私は自分が兄の死の衝撃から回復してきていることを、自分で許せない気持ちになっていたらしい。 たぶん私は全てを元に戻したいと思っているのだろう。兄が生きており、家族は誰一人として傷つかず、悲しむこともなく、当たり前のように平穏に暮らす。そういう戻らない毎日をいまだに夢想している。自分が苦しみ続けることで、それが叶うとでも思っているのだろうか? このまま兄の記憶を薄れさせて、兄の死の悲しみを脇に置いて、自分の人生を先へ進んでしまうのは辛
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く