ブックマーク / shirousagi.hatenablog.jp (3)

  • 科学は宗教より遅れている - ウェブ1丁目図書館

    19世紀以降、科学は目覚ましく発展してきました。 テレビ、インターネット、携帯電話でできることは、200年前では神の領域とされていたのではないでしょうか。テレビもインターネットも携帯電話も、テレパシーで遠く離れた人に何かしらの情報を送っているのと同じようなものです。 このようなことができるのは、神さま以外にない、いたとしたらそれは魔女だ。 19世紀より前であれば、そのように考えていたかもしれません。 科学の進歩は人間を神に近づけたと言えそうですが、まだまだ神と比較するほどの力を持っていないでしょう。それどころか、宗教で数千年前にわかっていたことをつい最近になって科学が証明できるようになってきたばかりです。科学は、まだ宗教の足元にも及ばないのです。 宗教ではすでに答えがわかっている 21世紀初頭、世界の多くの国で狂牛病が問題となりました。狂牛病の原因は、廃棄された牛から作った飼料「肉骨粉」を

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    shinzor
    shinzor 2017/07/17
    素朴
  • 姓と名字の違い。将来的に名字の意味はなくなるか? - ウェブ1丁目図書館

    ここに山田太郎さんという人がいたとします。 この人の名は「太郎」です。では、「山田」はなんでしょうか? きっと人によって答えが変わると思います。ある人は「姓」と答えるかもしれませんし、ある人は「名字」と答えるかもしれません。現代の日では、どちらでも構わないのですが、来、姓と名字は異なるものでした。 織田上総介平信長と吉良上野介源義央 現代の日人は、上の名前と下の名前の2種類で個人名が特定されます。山田太郎さん、鈴木花子さんなどが具体例ですね。 しかし、江戸時代までは、名字、通称、姓、名の4つの組み合わせで個人名を表現していました。織田上総介平信長(おだかずさのすけたいらののぶなが)や吉良上野介源義央(きらこうずけのすけみなもとのよしなか)といった具合に。 織田信長と表記する場合は名字と名の組み合わせであり、織田上総介と表記する場合は名字と通称の組み合わせです。 江戸時代以前の日人は

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    shinzor
    shinzor 2016/12/05
    へー
  • 「官」主導の公的サービスが格差社会を生み出す - ウェブ1丁目図書館

    ここ数年の間に格差社会という言葉が、日中に急速に広まっています。 格差を生む理由は、弱肉強の競争社会の進展によるものだという考え方があります。確かにそういった面はあるでしょうが、必ずしも競争社会が格差を生み出しているわけではないでしょう。 むしろ、競争を否定する考え方が強まれば強まるほど格差が広がっていくのではないでしょうか? ワタミ株式会社のCEOの渡邉美樹さんは、著書の「もう、国には頼らない。」の中で、自由競争のない社会こそが、実は格差社会ではないのかと語っています。 民間にできない公的サービスはない 学校、医療、福祉、道路整備、環境対策などの公的サービスについては、「官」が行わなければうまく行かないと思われています。 でも、当にそうなのでしょうか? 学校には私立がありますし、病院も市民病院以外に民間で運営されているところもあります。保険にしても、保険会社が存在しているので、健康

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    shinzor
    shinzor 2014/02/27
    官が民間経営下手なのは当たり前。官と民はやることが違うって分かってるじゃない。官(自治会)は民消費者(住民)の発注代理,民企業は受注者。本来,官が儲かることは民消費者が儲かること。自治会と住民の格差っ
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