はい。「もらう」という現象について、3回目です。 今日はこんな感じでお話ししていきたいと思います。 ■もらう場所って身体の中でどこに現れるか ■ もらうということは?「渡す人と渡される人」について ■ 鉄の心臓までは無理だけど、断ることができる自分へ ■ もらいやすい人がもらわずに済む具体的な方法について
一足早いのですが、今年もお世話になりました。いつもこのnoteを通じて応援して下さっている皆さまに向けてお礼をお伝えしたく、この文章を書いています。 このnoteがなければ、僕は自分の仕事の肩書き、「占い師兼作家」の、「作家」部分について名乗ることはできませんでした。 2018年はその「作家」部分のエッセイ本である『しいたけ.の部屋~窓の外から幸せの匂いを呼び込もう~』(KADOKAWA)を書き上げることが出来ませんでした。改めて、感謝申し上げます。 「12星座の占いではなくて、なぜこの本を書き上げたのか」 というところに繋がるのですが、僕は「占いをやる人間」として、その裏側として僕自身が「どういう考え方を持っている人間か」というのを、本という形でまとめてお伝えできないかってずっと願ってきたのです。そして、この本のベースになった各エッセイに関しては、このnoteで直接皆さまに寄せて頂いた質
この悩みに関してはすごく寄せられるし、多分、この「私って本当はどういう人間なんだろう?」という悩みとか考え事って、考えない人はほぼいないと結論づけてしまっても良いと思います。 それこそ10代ぐらいに、早い人は小学生ぐらいの時に「親から求められる自分像」に疑問を抱くことから成長って始まる部分があったりします。「これはお母さんに言われたわけではないけど、褒められるわけではないけど、自主的にやっていきたい」って始めたことって、すごく驚異的なスピードで成長したりするわけでしょう。もちろん、親としてみたら不安なところは出てくる。でも、「私が本当にやりたいこと」って、やっぱりその奥底に「反抗」とか「自由」というものへの渇望があるような気がするのです。 「本当の自分って何だろう?」 って、それこそ色々な年代で、色々なシチュエーションで出てくるものです。
春はよく出会いと別れの季節だと言われていますが、まさに春真っただ中のこの4月に改めて「人が人と出会う意味」について考えてみました。 出会いって、すごくよくわかんないものです。 「なんでこの人と出会ったのか? 」とか「なんでこの人と時間を共にするのか」とか。 そういう「出会い」という奇跡が、ただ「ここが合わなかった」とか「いつの間かすれ違ってしまって結果として最悪だった」とか、そういう「結論」だけに出会いの意味を集約させるのは何か違うといつも思ってきました。 そうじゃなくて、その出会いから贈られたものは何かあるんじゃないか? そういう想いを文章にしました。 人ってそれこそ一歩外に出た時に無数の出会いがあります。電車の横に立っている名前も知らない人、そして喫茶店に入った時に注文を取りにきてくれる店員さんなど。 僕たちが出会うその多くの「出会い」は、いわゆる素通りという形でそれぞれが先に進んでい
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