2009年12月16日のブックマーク (2件)

  • 20年遅れで輸入された「チャレンジド」の問題——あるいは「ジェンダーフリー」の再来 - macska dot org

    あんまりブログ更新を休みすぎると、「ブロガー」というわたしが唯一持っている肩書すら無くしてしまうよ!と思ったので、久しぶりに更新。ていうか、わたしは日政治をそんなに真面目にフォローしていないのだけれど、鳩山首相が障害者差別禁止法の整備を訴えたというニュースにおいて、首相の「障害者という言葉よりもチャレンジドの方が望ましい」という発言が紹介されていたので、その件について。 実は、はじめわたしがこのニュースを見た時に思ったのは、「チャレンジド」なんてわけのわからない外国語がそんなに一般に浸透することはないだろうし、放っておいてもいいだろう、くらいのことだった。鳩山首相もいったいどこでそんな言葉を知ったのだろう、余計なこと言わなくていいのにな、と。 でも、「ジェンダーフリー」の経験から分かる通り、わけのわからない言葉が、もしかするとわけがわからないからこそ、「進んだ外国ではこういう言葉が使わ

    20年遅れで輸入された「チャレンジド」の問題——あるいは「ジェンダーフリー」の再来 - macska dot org
    shisokan
    shisokan 2009/12/16
    ジェンダーフリーのことが書いてあるけど,ジェンダーフリーは当初は間違いなくホモフォビアであった→ジェンダーフリーは多様性を尊重しないホモフォビア,同性愛への偏見の思想:http://www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/tayosei/
  • 女性・子どもへの暴力 | 「ウィメンズネット・こうべ」代表

    1992年に私は女性たちが家庭や職場、地域でかかえている問題をともに考え、男女平等社会の実現をめざそうと、「ウィメンズネット・こうべ」という市民グループをたちあげた。 94年には、女性が安心して音を語り元気になれるスペースとして「女たちの家」を開設。半年を過ぎた頃から「夫に長年にわたり殴られていて、つらい」「お母さんがお父さんに殺される」などの電話が入るようになり、布団を十組買い込み、12月の会報に「いつでも泊まれますよ」と書いた。すると相次いで3組の女性たちが子連れでかけこんできた。今で言う、シェルターのスタートであった。 しかし、翌年の震災で周辺が擁壁ごと崩れるという状況で、残念ながら「女たちの家」を失い、その後「女性支援ネットワーク」をたちあげ、物資の配布や、支援セミナー、女性のための電話相談を開設した。震災後の3月から翌年の6月までの相談件数は137件、そのうちパートナーとの関係

    shisokan
    shisokan 2009/12/16
    「男たちのレイプは許せないが母親による児童幼児虐待はストレスのため仕方ない」なんて理論は通らないから.特に幼児虐待の被害は心身ともに酷いというのに.レイプの頻発の根拠はない