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ブックマーク / inujin.hatenablog.com (6)

  • 自分が無害なおっさんであることを伝えるのは、難しい。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    平日の昼間、クリスマスプレゼントにもらったラジコンカーをどうしても公園で走らせたいと子供が言うので一緒に行った。 その日はぼくは休暇を取っていたのだが、世間的にはまだみんな働いている普通の平日の昼間だったので、あまり人もいなかった。 しばらくラジコンカーを走らせて遊んでいたら、子供が急にウンチをしたいからトイレに行くと言い出した。 トイレは公園の少し奥のほうにあって、そこにはブランコや滑り台や砂場があり、ちょっと目が行き届きにくい場所だ。 昼間だといってもなんとなく物騒なので、ぼくは子供に付いていって、トイレの前でラジコンカーを預かって、外でじっと立って待っていた。 退屈なので周りを見回すと、小さい子供と若い母親たちが数人いるだけで、大人の男はぼくだけだった。 これはなかなか危ない感じの人間に見えかねないと思った。 ぼくはいま、平日の昼間から働きもせずに、子供たちとその母親たちしかいない公

    自分が無害なおっさんであることを伝えるのは、難しい。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
  • 小遣い制について、語る時が来たか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    小遣い制においては、ほんのわずかなミスが、命に関わる。 コーヒーを自動販売機で買うことなど、ありえない。 少なくともオフィスで仕事しているあいだは、ありえない。 タイムセール中に思いきって購入した徳用インスタントコーヒーを限界まで薄めて飲まなければ、生きていけない。 外出する時は、使い古しのペットボトルに家で作った麦茶を詰めて持ち歩くのがまあ常識だが、これを飲む時は仕事相手が誰も見ていない時を狙って高速でカバンから取り出してほんの一口だけ含み、それ以上に素早い動きで再びカバンの中にしまうのが、小遣い制のたしなみだ。 万が一飲んでいる最中に誰かに見つかってしまった場合は、あたかも先ほどコンビニかどこかで買ったばかりのものを飲んでいるような堂々としたふるまいが重要だ。 決して動揺を見せてはいけない。 何度も洗って再利用を続けていることで細かいキズやお茶の色素沈着が生じていることや、商品のラベル

    小遣い制について、語る時が来たか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    sho_yamane
    sho_yamane 2014/05/16
    ホラー
  • 僕らはみんな、間違っている。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    ここのところ、ブロガー諸氏が、突然はてなブックマークでキツいコメントを書かれて気分を害されるというケースをいくつか見受けたが、基的にはこれが「ベテランはてなユーザー流」の歓迎のしかたの一つなので、ここは「あら?そんなにこっちに興味あるの?んもう仕方ないわね、どうしても読みたいならこれからも読ませてあげてもよくってよ」と悦に入るところである。 である、と断言したのは理由があって、結局はブックマーカーに代表される読み手というものは書き手に依存せざるをえないからだ。 叩くにせよ、賞賛するにせよ、対象がなければ何もできないし、あったとしても叩きがいのないコンテンツばかりでは毒舌も発揮しようがない。 だからブロガーは、お腹がペコペコで騒ぐ子供たちをたしなめながら優しく手料理を配ってあげる母親のような気持ちで接してあげればよろしい。 これはもちろん書き手についても言えることで、いつでも書き手と読み手

    僕らはみんな、間違っている。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
  • トマトブロガーに、なりませんか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    さて、今週はなんとかお祭りにも参加できたことだし、僕はここらでトマトブロガーになろうと思う。 トマトといっても、もう熟れ熟れのジュクジュクな類のものなので、まあスーパーに並べられるような代物じゃない。 ぐずぐずのビチョビチョなんだから、とうてい人様に出せるようなものじゃないのである。 だから、くちゅちゅのズブズブの果肉を震わせながら、おそるおそるブログを書く。 これでよいのか、当によいのかと、ビクビクしながらも、書いていく。 書いていく、書いていく、書いてく。 これでもか、これでもか、これでもか。 気がつくと、僕の中身はもう全部ブログの中にぶちまけられてしまっていて、シワシワの皮だけになってしまった身体にムチを打って、公開するのボタンを押すのである。 一度更新したら最後、もう元には戻れない。 戻りたくても、もう僕の内側には何にも残っていない。 そこで僕は初めて気づく。 オレ、ブログを書く

    トマトブロガーに、なりませんか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    sho_yamane
    sho_yamane 2013/10/26
    タイトルで爆笑しましたwありがとうございます。
  • 恐ろしい死、というフィクション。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    死が恐ろしいもの、忌むべきものだという考え方は、どうも昔からあったわけではないらしい。 赤坂憲雄さんの『東西/南北考―いくつもの日へ―』というによれば、日各地の過去の人々の暮らしをひも解いていくと、決してすべての地域が、死を「ケガレ」として忌む対象としてきたわけではないそうだ。 人々が生活する「居住区域」と「お墓のある区域」に境界が設けられていない地域も、たくさんあるそうだ。 むしろ、「死というのものは怖いもので、生活の場からは極力遠ざけなければいけない」という通念こそ、畿内を中心に作られた社会的創造物なのだとすら、赤坂さんは主張している。 まあそれを鵜呑みにするかどうかは保留にするとして、いずれは僕にもやってくるべき死というのものに対して、昔々の誰かが勝手に考えた作り話にとらわれたまま、恐怖におののきっぱなしなのだとしたら、シャクだとは思う。 ★ 今、死についての2つのエントリがあ

    恐ろしい死、というフィクション。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    sho_yamane
    sho_yamane 2013/10/21
    死ぬまでイベントが特にないとおもってるのでそれまで暇つぶしと思ってます。
  • お笑いが、苦手です。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    コテコテの関西人だけど、お笑いが苦手だ。 いまだに関西人は誰もが面白いことを言えると信じて疑わないピュアな人と出会うことがあり、そんな期待に満ちた目で見つめられても、何にも出てこないですよと、迷惑にすら思っている。 今、感想をブログで書いてもらえると喜ぶグループ界隈(でもないか?)で、お笑いを巡るこんなやりとりがある。 ヤマネ ショウさん(id:sho_yamane)が 関西人からしたらダウンタウンがディスられてるのが悲しい - 無意味の意味 というエントリの中の 今の僕があるのは、ダウンタウンのおかげだと思ってる。もちろんダウンタウンの他に番組は「タモリ倶楽部」、人物は、みうらじゅん、中島らも、リリー・フランキーのように影響を与えてくれた要素はたくさんあるが、一番大きな影響を与えてくれたのはダウンタウンだと思う。 自分のトーク術や処世術っていうのは、ほとんどダウンタウンから学んだものなん

    sho_yamane
    sho_yamane 2013/10/08
    確かに面倒くさい機会は増えたかも。あんまり元気ないときでも色々求められる場合がある。
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